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復刻版衝動~奏~ by岡本峻一

日時:平成31年4月18日
執筆者:岡本峻一
タイトル:復刻版衝動~奏~

皆さま、こんにちは!
岡本 峻一です。

これを書いている2019年春の少し前、
2019年3月に「SAILAND ギャラクシティ公演」が行われました。
僕にとってギャラクシティでの公演は2回目。
公演中、2年前に同じ舞台で実施したある舞台の事を思い出していました。

自分にとって1つの大きなターニングポイントになった、
「復刻版 衝動Special Edition」、特にその中の奏。
今回のヒストリーページはこちらに焦点を当てて、話を進めていきたいと思います。

さて、「ターニングポイントになった」というお話しですが、
これは以前書いたヒストリーページ「和太鼓の道を選んだ理由」でも記載をさせて頂いた通り、
様々な葛藤の末に和太鼓で生きる事を選ばず、一回は就職を選んだ私が、
この「復刻版 衝動 Special Edition」を通して、得た1つの確信が元になっています。

その確信を得るまでのお話しを、
前回のヒストリーページでは細かく書ききれなかった内容を、
ここに綴らせて頂ければと思っております。

今回もまた重い内容ではありますが、お付き合い頂けますと幸いです。

さて、僕が「奏」という曲に出会ったのは、
2015年、「衝動II」という10周年公演の稽古が始まった頃でした。
最初に感じたのは、メンバーの曲に対する思い入れの強さ。
「和太鼓グループ彩」という団体にとっていかにこの曲が重要であるか。
その想いの強さに圧倒されたことをよく覚えています。

奏に込められた想いを感じ取りながら練習をしていた当時。
しかし、それを演じることは当時の自分にはまだ難しい事でした。
というのも、その稽古をやっていた頃、私は丁度就職活動の時期だったのです。
当時の自分の心中を表す言葉は恐らく「苦悩と葛藤」。
それは「奏」という曲の一部ではあるものの、
まだ、自身の中には足りないものが多すぎました。

ですが、当時から自分のその状況が奏にマッチしていることや、他のメンバーの奏への強い想いから、その時既に奏は自分にとって特に大事な一曲になっていました。
就職活動の傍ら、少しずつ、まだ自分の中には無い、その大事な曲を掴もうと練習に励んでいました。

しかし、結局衝動IIの初演で演奏することは叶いませんでした。
出演するメンバーが開演直前、最後の最後まで入念に確認を進める中、
一人担ぎ桶のセッティングを進めるなどサポートに回り、
開演中は裏側のモニターでその様子をじっと見ていた事を今でもよく覚えています。

その後、衝動IIツアーが終わった頃に就職。
何回か奏の大太鼓を任せてはもらったものの、苦い記憶が残りました。

就職先では、死に物狂いで仕事に食らいつき、
土日祝日は彩の活動があれば全て参加する日々。

何回も書きますが、葛西さんに言っていただいた、
「太鼓から離れすぎてはいけない」
その言葉を支えに毎日を過ごしていました。

しかし、それでも太鼓を続けるのはとてつもなく大変でした。
営業職でしたが、週5日のデスクワーク、毎日のように夜遅くまで仕事をし、
まっすぐ帰り、食事、シャワー即睡眠、そして起きればまた出勤。
週末になれば平日よりも早く起き、和太鼓を叩き、帰る頃にはもう夜の日々。

平日は身体を動かす暇などなく、
休日になれば急に太鼓を叩き、5分もすれば肺に熱い鉛を流し込まれているかのような感覚に見舞われ、腕もすぐに鉄塊のごとく感じられ振る事も難しくなる。
技術の向上など望めるはずもなく、ただただその維持に必死な毎日。

平日の仕事も次第に任される部分は増え、一方で新人の雑務も多く、
ドンドンと疲弊していく毎日を過ごしていました。

それでも食らいついた太鼓はなお自分にとって大きな心の支えで、
「もっともっと太鼓と関わりたい」「演奏以外にももっと、もっといろいろなことをしたい」
そういった感情が募って行き、
一方で「本当にそんなことを選べるのか」「ただ、仕事から逃げたいだけなんじゃないか」
そんな自分の心を引き留めようとする部分も同時に渦巻き。

様々な複雑な感情が自分の中で燻り続け、ドンドンと膨れ上がっていきました。

太鼓を叩き始めてそこそこの月日が経つ中で、
太鼓を叩くことに対する抑圧と、それでもなお抑えきれない太鼓に対する情熱の2つに、そこまで挟まれ続けた日々は、就職活動をしていた時期を含めてもありませんでした。
それこそが、以前のヒストリーページにも書いた通り、太鼓に対する「衝動」と呼ぶに足るものに至った始めての体験だったのではないかと思います。

そこに決まったのが復刻版衝動ツアー、そして奏でした。

それまで自分の中には無かった「衝動」という激情。
奏に自分を重ねて、一つ一つ解釈をし直しました。

就職して1年、振り返って就職活動の時、太鼓に対してどのような感情を抱いているのか。
一方で働き始めて改めて自分はどうしたいのか。
「いわゆる普通の生き方」に対して、どう思っているのか。
「太鼓を選びたい」と考えるのはただ仕事から逃げ出したいだけなんじゃないか。
根っこの部分で、自分はどうしたいのか。

そういった苦悩や葛藤、同時に間違いなく存在する太鼓に対する激情。
渦巻く感情の中で、自分が言語化できるものを整理していきました。

そして、もう1つ、このライブで自分にとって大きな意味がありました。
奏の大太鼓と言えば、矢萩さんという方がいらっしゃる中で、
その千秋楽、ギャラクシティで大太鼓のセンターを任せて頂いた事。

葛西さんの作られる配置図は、ただバランスを意識しているだけではありません。
その一つ一つの配置にメッセージが込められている、少なくとも僕はそう思っています。
だからこそ、その配置はとても衝撃の強いものでした。

万感の思いを胸に立った復刻版衝動の舞台。
奏を演奏しながら、その場面ごとに、自分の中で整理してきた感情を乗せて演奏をして行きました。

そして奏の中盤、萩さんと齋さんの笛のソロが終わった辺りで、
意図せず唐突に高校で和太鼓を始めてからの色々なシーンが。
自分の中にゆっくりと浮かび、1つ、また1つと流れていきました。
そういった情景が浮かぶ中で、「太鼓を始めて、色々なことがあったな」
「やっぱり自分はやっぱり太鼓が好きなんだな」と。
気づけば自然と涙があふれていました。

そのシーンが浮かび終わった時、
なぜ、自分はその道を選べないのかという不甲斐無さとある種怒りが溢れてきました。

「太鼓を選びたい」

その言葉が自分の中でひたすらに繰り返され、
そして最後のサビに入る時には、それまで自分が繰り返し自問自答してきた、
「本当に自分は太鼓を選びたいのか?逃げの口実ではないのか?」という疑問に対して、
「自分は本当に太鼓が選びたい」そのことを疑わなくなっていました。

その気持ちを認めて打った最後のサビは、開放感だったのでしょうか、
それまで感じたことが無いほどとても、気持ちが良かったです。

こうして、僕は就職活動からそれまで抱き続けた、
疑問と不安に答えを得ました。

以前のヒストリーページでも書きましたが、
僕は「仕事から逃げ出したい」という感情自体も、
当時間違いなく存在していた断言できます。

それでもなお、「太鼓が選びたい」という純粋な気持ちも同時にそこにあると、
認める事ができたのがこの「復刻版 衝動 Special Edition」の奏だったのです。

その日の夜、葛西さんがツイッターでその時の奏の事を綴って下さっていました。

記憶の限りでは衝動IIの時の悔しさを、葛西さんに語った覚えはありませんでした。
衝動IIへの、そして就職してからの想いをくみ取って下さった葛西さん。
そして、黙って背中を押してくださった矢萩さん、紺谷さん。
改めまして、本当に、ありがとうございます。
(この場をお借りする事をお許しください。面と向かっては照れ臭いので笑)

こうして、僕は将来的に和太鼓の道を選ぶことを決めました。

いつか書きたいと思っていた、この奏のお話し。
拙い文章ではございますが、この日がいかに自分にとって大事な日になったか、
少しでも伝わっておりましたら、幸いです。

今回も長文にお付き合い頂きましてありがとうございました。
また、次回もよろしくお願い致します。

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