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なぜ和太鼓彩で食べる道を選んだのかby岡本峻一

日時:平成30年12月18日
執筆者:岡本峻一
タイトル:なぜ和太鼓彩で食べる道を選んだのか

今年もだいぶ寒くなってきました。
冬になり、2018年も終わろうとしているわけですが、
今年1年は皆様にとってどんな年だったでしょうか?

私、岡本峻一にとっては、「和太鼓で生きる道」を歩き出した年です。
今年の4月からもう9ヶ月が経とうとしている。とても信じられません。

2016年、和太鼓で生きることを選ばなかった私は、企業に就職をしました。
就職をしてから2年間、それ以前から悩んでいたことを考えると何年になるのか、、。

前回のヒストリーページでは、
悩み続けて、それでも選ばなかった理由を書かせて頂きました。
http://wadaiko-sai.com/archives/history/181019

2016年に選ばなかった大きな理由は、
「自分の目標の見えなさ」「母への恩」といった理由でした。

そして今回、
和太鼓で食べる道を、その後なぜ選んだのか、
お話しさせて頂きたいと思います。

といっても、これに関しては本当に無数に理由があります。
あれも、これも、それも、と書いていたらキリがありません。
なので、ここではいくつかの特に大きなきっかけを書いていこうと思います。

例によって長文になりますが、よろしければ是非お付き合いください。

が、その前に、2016年4月に企業に就職してから、
2018年3月で退職するまで、自分が一体どんな風に過ごしてきたのか、、、
少し、振り返ってみたいと思います。

僕が就職したのは、IT系の企業。
IT系、と一口に言っても色々な仕事があると思うのですが、
その会社はインターネット関連の仕事を幅広く出がけていて、
その中でもインターネット広告の部署に配属されました。

最初の1年間は広告代理店に広告枠を売る営業職。

正直めちゃくちゃしんどかったです笑
先輩上司に恵まれていたので、何とかしがみついていましたが、
中々うまくいかず、かなりきつかったのを覚えています。
そして、2017年の2月に1度限界を迎えました。
通勤中に急に涙が溢れ出したんです。

そこから1週間有給休暇をもらいました。
とりあえず一人、熱海に行ってぼーっとしました。

(宿からの景色。2泊しましたが、ずっと宿で寝ていました。それ以外覚えていないです、、。)

ですが、それでもなかなか良くならず、、
しかし休職はせず、業務量を減らしてもらいながらまた働きだしました。
この頃、職場でマスクを取れなくなりました。

この時期が一番会社を辞めたかった時期でした。
他の会社に転職をしようかなとも考えました。

でも、会社は辞めても太鼓は選ばないと決めていました。
それは、ただ太鼓を逃げ道にしているだけだから、と。

どうにかメンタルを戻そうとあがいていた3月末、異動の辞令がでました。
次は広告を管理し、効率よく掲載していく仕事。

正直、「あー、俺はもう無理って思われたのかな」と思い、
寂しい気持ちと、悔しい気持ちがありました。

しかし幸いにも、移動先の仕事はとても性に合っていた上に、
新しいチームでもまた人に恵まれ、するすると仕事を覚えることができました。

正直営業の頃よりも業務量はかなり多く、
ますます大変になっていましたが、5月頃にはメンタルは回復し、
7月頃には仕事が楽しくなっていました。

さて、このように僕は前職で仕事をしていました。
一方でこの頃、太鼓でも色々ありました。

2016年4月1日に入社式があった翌日には、「篠笛の宴」に出演したり、
2016年10月1日の彩Collection 2016に向けて、9月の休みの日を全て太鼓に捧げたり。

「篠笛の宴」チラシ

可能な限りの時間をとにかく太鼓に費やしました。

「今後、岡本が就職した後、絶対に今まで通りの活動ができなくなる。
 それでも可能な限り参加するようにしてほしい。
 そうしないと、岡本はいつか太鼓を選べなくなるから。」

和太鼓で生きることを選ばなかったとき、葛西さんに言ってもらった言葉。

それが支えでした。

どんなに仕事が忙しくて大変でも、週末は彩に可能な限り参加しました。

そうして太鼓をやっているうちに、
就職活動の時の自分が答えを出せなかったいくつかの問に対して、確信を得ました。

「週末に太鼓を叩くだけじゃ足りない、そもそも演奏以外の色々なことがしたい」
「太鼓をもっと多くの人に好きになってもらいたい。そのためにできる事を全部したい」
「太鼓を通じて世界を平和にしたい」
(これについてはまた別の機会にヒストリーページに書こうと思っています。)

大宮でのとある演奏だったり、いくつか深く記憶に残っているものがあるのですが、
何より、自分の心を動かしたのは、2017年の「復刻版衝動」そしてその「奏」でした。

正直週末は寝ていたいという気持ちもある中で、
自分を太鼓に突き動かしていたのは、
ただただ「太鼓が好きだ、太鼓の道を選びたい」という衝動。

「太鼓が好きだ、太鼓を叩きたい」という感情は、
太鼓を始めて以来、常に自分の中にありました。

でも、それはきっとまだ衝動ではなかったと思います。

衝動とは、自分の中にある、抑えきれない強い感情の事を指すと思います。
就職活動をするまでの自分は、太鼓を叩きたいという感情を抑え込んだことはありませんでした。

様々な事情がある中で、「太鼓の道を選びたいけれども、選べない」と自分に言い聞かせ、でも一方で「太鼓が好きだ、太鼓の道を選びたい」という自分の感情も絶対的にあり、、。
相反する二つの感情のせめぎあいの中で、和太鼓に対する感情はますます強くなり、衝動と呼ぶに足るものに至ったのだと思います。

そのような状況下にあった自分には、
「復刻盤 衝動」というライブも、その中の「奏」という曲も
自分のその時の感情そのものであり、
だからこそ、それはこれまでになく、
舞台上で自分自身の心の内と深く向き合う機会になりました。

復刻版 衝動 東京公演、奏を演奏している時。
急に太鼓を始めてからの様々な場面が走馬灯のように自分の中に浮かびだしました。

それらの場面は駆け巡るようにというよりも、
一つ一つ噛み締めるように、意識したわけではなく自然と流れていきました。

そして、気が付くと涙が零れていました。

演奏が終わった時、
本当に色々な感情が和太鼓に対してあるけれども、
そのなかで何よりも自分の中に純粋に強く存在している想いは、
本当に「太鼓が好きだ」という事だと、素直に受け入れられました。

「絶対にいつか、和太鼓の道を選ぶ」

自分の中で、和太鼓の道を選ぶことに対する疑問や不安は、この時、なくなりました。

そしてそのいつかは、2017年11月になりました。
会社を辞めることを決心したのです。

なぜそのタイミングだったのか。

それは、「太鼓を選ばないなら、ここで仕事をしていきたい」と
強く、前向きに、思えるようになったからでした。

そのころ、前職で大事な案件をたくさん任されるようになり、
多くの方から、頼ってもらえるようになったんじゃないかと感じていました。
(自分で言うのもどうかと思いますが、、、笑)
小さいながら社内で表彰もしてもらい、仕事が楽しくなっていました。

そして、「この会社で5年10年働いていこう」と、
思うようになっていた自分に気がつきました。

その時、同時に思ったんです。
今なら、逃げ道ではなく、前向きに太鼓を「選ぶこと」を決められる、と。

それが最後のきっかけでした。

こうして、自分の覚悟は全て決まりました。

ただ、自分の覚悟が決まったからと単純に決められるわけではありません。
もちろん葛西さん始めこれから一緒に仕事をしていくメンバーたち、
当時の上司を始め、共に仕事をしていた前職の方々含め、色々な人とも話をしました。

そして自分が太鼓を選ばなかった時の原因の1つでもある、
母にも、もちろん話をしました。

母は意外にも、自分の道を自分で選ぶことを止めないでくれました。

たぶん、本当は反対だったと思います。
しかし改めて自分の覚悟を話したその場で、母はそのことを肯定してくれました。

こうして自分は太鼓の道を選びました。
ただ、こうやって書くとかっこ良い部分ばかり書いているので、
もう1つここに書いておきたいことがあります。

2018年1月、亀有で葛西さん、萩原さん、齋さん、塩見さん、岩永に対して、
改めて和太鼓の道を選びたいことを伝えました。
その時の塩見さんからの質問。

「会社を辞めたいという逃げの気持ちは本当にないのか」

先ほど書いた通り、前向きに会社を辞めて太鼓を選べる、
そう思ったからこそ、この時覚悟を決めました。
でも、そこに「仕事から逃げたい」という気持ちが全くなかったといったら、
それはやっぱり嘘になります。
やっぱり結構大変だったので、、笑

「仕事から逃げたい」という気持ちは多少なりともありました。
でも、同時に「太鼓を前向きに選んだ」のも事実で、
そちらの方が大きかったと、自信を持って言えます。

本当に、多くの方との出会いが、支えがあったから選ぶことができました。

奏で大太鼓センターを任せてくれた葛西さん、矢萩さん。
任せてもらえなければ、あそこまで自身に向き合う事もできなかったと思います。

仕事が楽しいと、思えるようしてくださった前職の方々。
和太鼓彩で仕事をしていると、折に触れ、あの時学んだことが活きていることを感じます。
あの会社に就職したことを後悔しないで済んだのは皆様のおかげです。

絶対に反対だっただろうに、自分の道を選ぶことを肯定してくれた母。
あの時明確に反対されていたら、今こうしてこれを書いていたか、正直分からないです。

そして、選びたいと思った太鼓の道をいつも支えてくださる皆さま。
そもそもこうやって悩むことができたのも、この選択肢を作ってくださった皆さまのおかげです。

本当に、本当にありがとうございます。

まるで最終回のような書き方ですが、「和太鼓の道を選ぶ」事はゴールではありません。
その事を自分自身が見失わないように、これから先、一歩一歩、進んでいきたいと思います。

今回もこのような長文を読んで頂き、ありがとうございました。

これからも何卒、宜しくお願い申し上げます。

2018年12月18日

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