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就職活動その1 by葛西啓之

日時:平成31年1月11日
執筆者:葛西啓之
タイトル:就職活動その1

みなさまこんにちは。葛西です。
本日は7回目のヒストリーレポートを書きたいと思います。

時は2008年。
和太鼓彩を結成して4年目。
早いもので、葛西青年も大学4年生となりました。

というわけで、本日のテーマはこちら。
ズバリ「就職活動」についてです。

またまた和太鼓彩の本筋からは少し逸れてしまいますが、私の礎、ないしは和太鼓彩の礎を作った大きな経験として、どうぞお付き合いいただけますと幸いです。

さて、ご存知の方も多いかと思いますが、私は大学卒業後、一度サラリーマンになり、和太鼓彩の活動を離れています。
その後再び和太鼓彩に戻り、2013年にサラリーマンを辞め、プロとして再出発をするのです。

本日は、なぜそんな回り道をしたのか、ということについて話しさせていただきたいと思います。
(岡本的に言うと、「和太鼓を選ばなかった理由」というやつですかね。)

さて、今からちょうど10年前の2008年。
葛西青年は自分の将来について悩んでおりました。

中学生の時から「将来は教師になりたい」と思って生きてきて、中でも国語の教員になるために文学部に進学。
このまま教員免許を取得し就職活動すれば、念願の教師になれる。
いわゆる「将来の夢」としてずっと抱いてきたものが叶うまで、あと一歩の所まで来ていた大学4年生。
自分はこのまま教師になるものだ、と思い込んで生きてきました。

しかしいざ決断の時になって、私は悩んでいたのです。

なぜか。

「お前が教師に憧れているのは、教師が今のお前にとって最も身近な職業だからだ。世界はもっと広い。色々な世界をちゃんと見てから自分の将来を決めなさい」

高校時代に恩師に言われた言葉が、心のどこかに引っかかっていたからです。

高校時代、なんの迷いもなく「教員になるんだ!」と意気込み、教育学部専門の大学に進学することを志望していた私に、当時私の担任だった先生から、上記の言葉をいただいていたのです。

僕「なるほど、じゃあどこに行けば広い世界が見られるんですか?」
恩師「東京大学だ」
僕「分かりました、じゃあ東大目指します!」

みたいな単純な流れで東大を目指すことになったのですが(今思うと、ただ単に先生が進学実績をあげたかっただけなんじゃないか、なんて思ったりもしますが笑笑)、実際に大学で4年間色々な世界に触れ、教育学以外の学問も勉強する中で、「自分は本当に教師になりたいのだろうか?」という疑問が生まれてきていました。
というより、「自分は教師になって何がしたいんだろう?」と。

そんなわけで、自分の将来について悩みはじめたわけでありますが、
悩みの大きな種はもう一つあります。
そう、もちろん「和太鼓」です。

和太鼓彩を結成して4年。
2008年には矢萩・執行・齋も加わり、総勢9名に。

*若かりし日の執行くん、齋くん。まだ可愛げが残ってますね。笑
 矢萩は変わらなさすぎ。笑

大学の学園祭では賞を総ナメにし、外部から演奏依頼をいただくこともしばしば。
2005年の結成当時からは想像もできないくらい、順調満帆な和太鼓生活を送っていました。
そして人間の欲望とは際限がないもので、 楽しいものがあると、その楽しいもので24時間365日を埋め尽くしたい!と思ってしまうのです。

太鼓めっちゃ楽しいし、大好きだし、このままプロになってもやっていけるんじゃないか?
そんな悪魔の囁き(?)が頭をよぎります。

しかし、当時は大学4年生。
まだまだ社会の「し」の字もしらない青年が、いきなり世の中に飛び出して、プロ和太鼓奏者としてやっていけるはずがありません。
なので実は、大学4年生の時は、「プロ和太鼓奏者」という選択肢はあまり現実的に考えていなかったのです。
というよりも、まず無理だろう、と。夢のまた夢みたいな話だったわけであります。

さて、話が少し逸れますが、「すでにあるプロ和太鼓集団に入ろうとは思わなかったのか?」と聞かれることが稀にあります。
そりゃそうです。プロ和太鼓奏者になりたいと思ったら、自分で一からプロチームを立ち上げるよりも、既存のプロ団体に入ることを考えた方が、実現可能性でいえば圧倒的に高いでしょう。
「プロ野球選手になりたい」と思って、プロチームを一から立ち上げようと考える人がいないように。

ですが不思議と私は、その選択肢は考えなかったのです。
いまだに自分でもなぜ考えなかったのかよく分からないのですが、恐らく、「プロ和太鼓奏者」になりかたったわけではなかったから、だと思います。

僕は元々プレイヤー志向が低い人間でして、「自分が和太鼓を打ちたい!」という欲求があまりないんですね。
(いや、もちろん、演奏にはたくさん出たいんですが。ええ。)

それよりもどちらかというと、自分で作った「和太鼓彩」というチームが大好きで、そのメンバーが大好きで、このメンバーと「和太鼓彩」というチームをどこまでも大きくしていきたい。「和太鼓彩」として世界を巡りたい。
そんな想いが強かったように思います。

ですが、重ねてになりますが、当時まだ大学4年生で、世の中の右も左もわからないイチ青年。
和太鼓彩をプロにするんだ!と思ったところで、何をどうすればいいのか、全く分かりません。
というか、そんな選択をしてしまったら、自分の人生が狂ってしまうだろう。
そんなことを考えていました。
正確に言うと、プロになることを“考えないようにしていた”といった方が正しいかもしれません。

そんなわけで、当時は大きく、「教師」か「サラリーマン」か。
この2つで悩んでいたわけであります。

しかし、どれだけ悩んでいても時間は止まってはくれません。
そうこうしている内に就職活動は始まり、周りの友達はどんどん内定をゲットしていきます。
そして私も最終的には、例に漏れずサラリーマンとして生きることを決意したのです。

理由は大きく、2つあります。

1つは、再び登場。高校時代の恩師です。
悩みに悩んだ末、大学4年生にもなっていながら、私は恥を忍んで高校時代の恩師の元へ相談しに行ったのであります。
その時にいただいた言葉がこちら。

「悩んだら、より選択肢の残る方へ行け」。

恩師曰く、「悲しいかな、教師という職業は潰しがきかない。教師になってから「やっぱりサラリーマンになりたいです」というのは中々難しい。それは太鼓奏者も一緒。でも、サラリーマンから教師になることはできる。もし悩んでいるんだったら、まずは企業に行った方がいい」ということでございました。

なるほど・・・やはり恩師の言葉は偉大であります。

そして、「企業に行って、色んな世界を見てこい」と。

そう、言われていることは高校時代と全く同じであります。
結局私は、大学生活の4年間では、自分の人生を「これ!」と決めきるほど、色々な世界を見ることができず、また、そんな度胸もなかったのです。

そしてサラリーマンを選んだもう一つの理由がこちら。
ちょうどこの時期に行った「教育実習」です。
教員免許を得るためには「教育実習」が必須の単位でして、ちょうど4年生の春に教育実習に行ったのであります。(もちろん、桐蔭学園に)

どんな面白い授業をやろうか、子供達にどんなことを伝えようか、ワクワクしながら意気揚々と向かったのですが、私に与えられた題材が「夏の葬列」。

「夏の葬列」、ご存知の方いますかね?国語の教科書中では割とメジャーな題材かと思うのですが、戦争中のお話でして、戦争中に主人公の男の子が(意図的ではないのですが)友達の女の子を殺してしまう、そしてその十字架を背負いながら生きていく、という、ものすごく重いストーリーなのであります。
(前回のヒストリーで書いた、遠藤周作「私が・棄てた・女」ともどこか被るところがありますね)

この題材を前にした時、私はめちゃくちゃにテンパりました。
なぜなら、生徒達同様、私自身も戦争を体験していないわけで、このストーリーを通じて子供達に私が伝えられることなんて、皆無だったからです。
高校生と比べて私が経験していることと言えば、せいぜいお酒とタバコくらい。
それ以外は高校生と全く変わらないわけで、なぜ自分が教壇に立っているのか、なぜ自分がこの子達に国語を教えているのか、理解不能に陥ったわけであります。

結果、どうしたかと申しますと、個人的にはずっと否定し続けてきた「マニュアル(学習指導要領)に沿った授業をそのまま展開する」ということになるのですが、というか、そうするほか術がなかったのですが、この時の悔しさと言ったら。

プロ和太鼓奏者になるのと同じように、いや、それ以上に、自分ごときが教師になるとは、人様に何かを「教えよう」などとは、なんとおこがましい願いだったか、そんなことを思い知らされた教育実習でした。

そしてこれらの経験を経て、ようやく私の胸は決まったのであります。

「一度社会に出て、色々な世界を自分の目でしっかり見て、その上で改めて、プロ和太鼓奏者か、教師か、はたまた全く別の職業か、数年後に再度考えよう」

と。

私にとっては長い長い、2008年の春でございました。

さて、かくして、悩みに悩んだ末「まずはサラリーマンになる。そして、色々な世界を見る」という大目標のもと怒涛の就職活動が始まるわけでありますが、だいぶ長くなってしまったので本日はここまで。

次回、「いよいよはじまる就職活動篇」をお送りしたいと思います。

それでは!

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