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はじめてのKPP! by齋英俊

日時:平成31年3月9日
執筆者:齋英俊
タイトル: はじめてのKPP(かめありパフォーマンスパーク)!

時は2011年。前回に引き続き(https://wadaiko-sai.com/archives/history/190202)、学生時代のお話の続きをしたいと思います!

“和太鼓で生きていくことを目指す覚悟” が決まった齋青年。
「和太鼓で食べていく!」いや、「和太鼓で食べていけるはず!」という、謎の根拠のない自信だけはありましたが・・・、
当時の和太鼓は、ただの大学のサークルです。

学生サークルとしては順風満帆な活動をしておりましたが、
学園祭にだけ出演していても、食べていくことはできない。
なんとか、大学の外に出なくては、、、

ということで、他の演奏の機会を探し始めます。

ビジネスの知識も人脈も何もなかった齋青年は、
とりあえずネットで演奏できそうな場所を探してひたすら飛び込むという、なんともシンプルな方法に出ます。

問い合わせを続ける中で問題となったのが・・・

「和太鼓の音量」(どーーーん!)

和太鼓の1番の魅力ともいえる“音量”が、ひとつの壁として立ちはだかります。

いろんなパフォーマンスが行われている場所でも、
和太鼓はNGなんですよね・・・と、幾度となく断られます。

そんな中、まず最初に演奏のOKを出してくれたのが・・・、
かめありパフォーマンスパーク、通称KPP(ケーピーピー)です!

KPPは、毎月第一日曜日に亀有駅前で開催されるイベントです。
いろんなパフォーマーが集まり、代わる代わるステージを披露します。

「学園祭の外に出ていく!」

そう目標を決め、最初の演奏となった、KPP!
そのはじめてのKPPを振り返ります。


時は2011年7月3日。
僕の大好きな、とてもとても暑い夏の日でした。

いつものホームグラウンド(大学)とは違う。
はじめて来た亀有。
そして個人的に、はじめて自分から営業した(というと少し大げさですが・・・)演奏ということで、珍しくドキドキしながら改札を出たことを覚えています。
ええ、まさかその後亀有に住むことになろうとは、当時思いもよりません。笑

ヒストリーを書こうと過去のデータをあさっていると・・・、
当時のポスターが出てきました!!

2011年7月のKPPポスター

しっかりと和太鼓グループ-sai-の名前もありますね!!
亀有でのはじめての演奏は、駅前ではなく、リリオパークでした。

亀有から日本を元気に!!!

当時は演奏前恒例だった!?
とてもまじめな円陣で気合いを入れなおします。

演奏を振り返る前に・・・
せっかくなので、衣装に関して触れておきましょうか♪

メンバーが着ているのは、当時和太鼓が使っていた、自作のオリジナル衣装(通称”T”)です!
背中側には、今も和太鼓が使っているのロゴが施されております!

T背面 (いつぞやの五月祭)

そして、表面左胸には、わかりやすく、「SAI」のプリントが!

T表面 (いつぞやの駒場祭)

ローマ字で、「SAI」の文字です。
そうです、僕の名前もSAIです。
学園祭など、衣装を着て遭遇した友達には、自分の名前を服に入れている自己主張強めなやつだと思われていました。笑
(名札ではありません。)

そして、何を隠そう、こちらの衣装!
当時大流行した、ユニクロさんのヒートテックにプリントしました!

そうです、ヒートテックです。
理由は、なんとなく素材がいい感じだったからです!!!!(どーん)

ヒートテック(ユニクロ公式WEBサイトより引用)
ヒートテックは、“自家発熱するインナー”です。だから、薄いのにずっと暖かい。身体から発する水蒸気を熱に換えるテクノロジーが、あなたの冬をいつでも心地良くします。

衣装がヒートテックということで、演奏中、汗という水蒸気?が自家発熱しまくります。
つまるとこ、演奏しているとめちゃめちゃあつい。
なぜ衣装を作る段階で議論にならなかったのか、不思議です。笑

それでは本題に戻って、
夏にも負けず、ユニクロの技術にも負けず、汗だくで演奏したKPP初公演を振り返っていきましょう!

まずは1曲目、執行正樹(21歳・♂)の「三心不乱」から。

うん、やっぱ執行ってかっこいい漢ですよね。笑
当時から絵になる。

しかし、この時の太鼓は執行には少し小さいですね汗
太鼓が破れんばかりの力で、1打1打、打ち込みます。

2曲目は、「祭宴」です!

“楽しいが響きわたる!” 演奏の原点ですね!
こうして見てみると、太鼓のみならずメンバーも心なしかワンサイズ小さいですね(笑)

そして写真の一番左は、紺谷友博(21歳・♂)ですね!
2011年加入なので、デビューしたてほやほやの貴重写真です!
今よりツーサイズくらい小さいですね

メンバーもお客様も笑顔で!
演奏したことを覚えています。

そして3曲目は、「叶」!

今も演奏する、通称3個打ちの楽曲です。
「いろんな場所で太鼓をたたきたい!そんな夢が叶いますように」という願いを込め、「叶」と名付けられました。
曲名が決まった直後の演奏が、このKPPでした。

3曲とも今も演奏することが多い楽曲ですが、リズムなどが違うんですね~
初期バージョンです♪
久しぶりの公演を楽しみながら、かみしめながら、力いっぱい若さ溢れる演奏をします。

結果は・・・・、

超!超!超!!!!大盛り上がり!!!!!(^O^)/

学園祭以外の場でも盛り上がるのか。
自分たちの演奏は受け入れてもらえるのか。。。

そんな不安があった中での演奏だったので、亀有の皆様に温かく受け入れていただき、とてもとても嬉しかったことを覚えています。

俺たちならいける!!

そう力強く背中を後押しした瞬間でした。

写真はないのですが・・・、
夕方の亀有駅前での演奏も大盛り上がり!!

その日の打ち上げでは、嬉しさのあまり、みなでたくさんお酒を飲みました。
葛西代表には、今でも、齋はあの日が一番飲んでいたと言われます笑
それだけ嬉しかったのでしょう!

その後、KPPパフォーマンスライセンスを発行してもらい、亀有駅前で頻繁に演奏させていただくこととなります。
和太鼓の演奏をはじめて亀有駅前で見た!という方も多いのでは??^^

こうして、亀有で徐々に応援してくださる方が増えていき、亀有での共同生活開始、初の事務所へとつながっていきます。(▶初事務所誕生&共同生活スタート! https://wadaiko-sai.com/archives/history/181026)

ここから、和太鼓を語る上で欠かせない、″亀有”というヒストリーが始まります。


はじめて亀有に降り立ってからなんと今年で8年。(ひゃーーー!)

先日(2019年2月末)、和太鼓グループの新事務所をオープンしました。
もちろん、亀有駅の近くに!

当時からKPPを取り仕切る鳥山さんに、新事務所に来ていただきました!
(新事務所は鳥山さんのご自宅のとても近くなんです!)

KPPバードさんこと鳥山さん (写真真ん中)

昔の話で時間を忘れて盛り上がります。
8年経っても変わらず関係が続いているのが、嬉しいですね☆

当時、KPPにとっても、和太鼓は新しい挑戦だったそうです。
果たして音量は大丈夫なのか、KPP自体の存続にかかわらないか。
そんな中、道行く人に、「いろんなパフォーマンスを楽しんでもらいたい」という想いから、鳥山さんは最初の許可を出してくれたそうです。

結果的には、数多く出演させていただいた亀有駅前での演奏も、苦情が来たことは一度もなく、今もいろんなチームの和太鼓が親しまれているそうです♪
鳥山さんをはじめ、亀有の皆様に温かく迎えていただき、本当に感謝しかありません。

KPP、いつかまた出てみたいですね(#^^#)

それでは、今回は、僕らが亀有を拠点にしていく一歩目、亀有での初演奏「KPP」を振り返りました!

次回のヒストリーもどうぞお楽しみに!

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