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「奏」編曲秘話 by葛西啓之

日時:令和元年8月6日
執筆者:葛西啓之
タイトル:「奏」編曲秘話

みなさまこんにちは。葛西です。

さて、前回のレポート(URL:https://wadaiko-sai.com/archives/history/190720)で「奏作曲秘話」をお届け致しました。
今回のレポートでは、奏も含めた「第1回単独公演」をレポートしようと思っていたのですが・・・
8月12日に迫った「奏」LIVEの前に、どうしてももう一つ振り返っておきたいことがありますので、そちらについて書こうかと思います。
時系列が飛んでしまいますが、どうぞお付き合いください。


時は2011年春。
3月に念願の第3回単独公演を終えた和太鼓彩。
公演を終えた私は、ある想いを抱いていました。

「奏を、30分の超大曲にしたい」

と。

第3回単独公演。
この公演は、特別な意味を持っていました。

2009年に一度は和太鼓彩を離れ、2010年に再加入した私にとって久々となる単独公演。
そしていつかプロになることを本格的に見据え、様々なチャレンジを盛り込んだ公演。

そう、僕たちはいつしか「サークル」の域を超え、プロとして世界に羽ばたくことを夢見るようになっていたのです。
(このあたりの変遷に関しては、いつか書きます)

来る日も来る日も、当時の僕らにとっては夢物語だった、「プロ」の世界への憧れを語り合っていました。

いや、プロの世界への憧れ、というのは語弊があるかもしれません。

ただただ太鼓が楽しくて、メンバーと一緒にいる時間が楽しくて、このままいつまでもどこまでも、24時間365日、死ぬまでこのメンバーで太鼓を叩いていたい!
そんなことを切に願っていたのです。
練習後に、「このまま一人一個ずつ太鼓を持って、海外行っちゃおうぜ!」なんて、できもしない妄想を熱く語ったこともありました。

でも、当時の僕たちにできることは何もありませんでした。

毎週末川崎の小さなスタジオに集まって、自分だけではコントロールさえできなくなった複雑な感情を、ただひたすら仲間と太鼓にぶつけるばかり。
練習後はお酒を飲みながら夢を語り合い、語り合えば合うほど、それが実現できない悔しさが相まって、しまいにはヤケ酒。笑
活動場所が広がってきたとはいっても食べていけるようになる未来は全く見えず、目の前には広大な暗闇が広がっています。

当時の僕たちは、果てしなく“無力”だったのです。

その時の、代表としてのふがいなさたるや。

こんなにも皆太鼓が好きで、こんなにも皆で太鼓を叩いている時間が楽しくて、太鼓で生きていけたらどれだけ幸せだろう・・・と心から願っているのに、「俺がなんとかするからついてこい!」とは言えない。

世界に飛び立つお金もないし、プロに飛び出しても食べていける道なんて到底見えない。まして、本当に会社を辞めて彼らを養っていく度胸もない。
一体、僕はどうすればいいのだろう。
僕は、彼らに何をしてあげられるだろう。

そんな「悩みと葛藤」に苛まれた2011年の春でした。

そんな中、私は自分にできることを見つけます。
いや、「それ以外に何もできなかった」と言った方が正しいかもしれません。

それは、「メンバーが、自分の感情をストレートにぶつけられる場を用意すること」です。
愛すべきメンバー達の、太鼓への苦しみと、葛藤と、怒りと、そして愛情を。
これらを最大限に解放する場を、曲を、なんとかして用意してあげたい。
それが現時点で僕にできる、唯一の責務である。
そんな風に感じ、彼らが「最大限に感情を解放できる曲」の制作に取り掛かりました。

なにより、こんなにも真っ直ぐで繊細で、強そうで弱くて、時に暴力的ですらある彼らのそのままをお客様に届けたい。
この想いは、人様に感動を与え得るのではないか。
この熱情は、誰かの心を動かすのではないか。

そんな想いから、半ば衝動的に曲作りに入っていきました。


そしてそう、この曲こそが、「奏 30分ver」です。
正確には「編曲」ですね。

前回のレポートで書きました通り、「和太鼓の迫力」と「和らしさ、風流な感じ」を掛け合わせた「壮大さ」が奏のコンセプトです。
第1回〜3回までの単独公演経て、奏もかなり、和太鼓彩の代表曲として成長していきました。

そこに、「メンバー一人一人の感情・想い」を上乗せすることで、和太鼓彩にしかできない、和太鼓彩でしか成り立たない、本当の意味で「彩の代表曲」になれるのではないか、と考えたのです。

そして、たとえ個人の感情がむき出しになったとしても、たとえ多少暴力的になったとしても、「奏」ならそれを受け入れられるのではないか、うまくバランスが取れるのではないか。
そんな、根拠のない確信めいたものもありました。

早速取り掛かった編曲。

具体的には、第1楽章の後に、メンバー一人一人の、「これでもか!」という程のソロを。シンプルに、長胴太鼓の1個打ちで。

そして第2楽章と第3楽章の間には、笛の音色に乗せた「これでもか!」という程のひたすら下に打ち込むシーンを挿入。
メンバー内で「2.5部」と呼ばれているシーンです。

*2.5部とはこのシーンです。


(2014年「BOSS RUSH LIVE」より)

ベースリズムには3連符を採用し、ひたすら3連符を打ち込んでいくのですが、これが思いの外はまりまして、今では「奏」の中で欠かせないシーンとなっています。
*あまりご存じない方も多いかもしれませんが、奏の代表的なこのシーン、実は元々はなくて、2011年の編曲で作られたシーンなのです。

そしてメロディーですが、実はこのメロディーも、ちょっと参考にさせていただいた曲があります。

松任谷由実さんの「春よ、来い」です。
言わずと知れた名曲中の名曲ですね。

うーん、なんでしょう。ある時「春よ、来い」を聞いていたら、ビビッときたのです。
松任谷由実さんの迫力ある歌声の中に、「春」をテーマとしたどこか物悲しい感じ、儚げな感じがある・・・そんな印象を受けました。
そのインスピレーションをもとに、メロディーを制作。
例のごとく、細かい詰めやハモリは齋くんに手伝ってもらい、完成しました。

力強く迫力もあって、半ば暴力的ですらある太鼓の中に、太くて繊細な篠笛が重なっていきます。

楽しくもあり、苦しくもあり。
強くもあり、儚くもある。

そんな当時の僕たちの様々な情感を、奏の「2.5部」に込めました。

思えばこの頃から、ただただ楽しく演奏する、学生の延長線上のような太鼓生活がそう長続きはしないことを、全員が暗黙のうちに感じ取っていたのかもしれません。

<当時の合宿の様子>

こうして、当初は12分程度だった奏が大幅に編曲され、30分の大曲に。
文字通り、メンバーの全ての感情を乗せた「和鼓彩の代表曲」へと進化していきました。

この「奏 30分ver」を引っさげて、2012年に和太鼓彩初のツアー「衝動」へと突き進んでいくのでありますが、その話はまたの機会に。


さあ、いよいよ迫ってまいりました、8月12日「奏」LIVE。

思えば初めて「奏」を披露したのも、そしてこの「奏 30分ver」を初めて披露した場所も、北沢タウンホールでした。

まさに、「奏」が生まれた場所であります。

毎日ドタバタ生きていると、ついつい昔の情景や感情を忘れてしまいがちですが、今回こうして、ヒストリーを通じて改めて「奏」について想いをめぐらせ、
そしてまた、北沢タウンホールで「奏」を演奏できること、心より嬉しく思います。

過去から現在まで、そして未来へと続く和太鼓彩の確かな歴史と、そして様々な表情を持った「奏」を、当日はお届けしたいと思います。
前回・今回と2回に分けて書かせていただきました奏の制作・編曲秘話も、頭の片隅に置きながら見ていただけたら、嬉しく思います。

それでは、今日はこの辺で。
ではまた。

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