1. HOME
  2. 和太鼓部入部「君は太鼓に光り輝く」 by渡辺隆寛

和太鼓部入部「君は太鼓に光り輝く」 by渡辺隆寛

日時:令和元年8月22日
執筆者:渡辺隆寛
タイトル:和太鼓部入部「君は太鼓に光り輝く」

みなさんこんにちは、なべっちです!

さて、お馴染みとなりました彩ヒストリー。
ようやく私の出番といったところでしょうか笑
今回から、渡辺隆寛の和太鼓半生を振り返っていこうと思います!


その始まりは2010年、僕は桐蔭学園に入学しました。

高校生活ではもちろん勉強もしましたが、その次に大事なのは「部活」。
小学校、中学校と親の影響でバドミントンをやっていたのですが、
「せっかくなら別のことをやりたい!」と思っていました。
また小さい頃から音楽が大好きでエレクトーンを習っていたこともあり、「軽音楽部」に入りたいなーなんてぼんやりと意識。
そっから、ギター弾いてみたいなーとか、あわよくばモテたいなーとか(笑)、様々な高校生活の絵空事を描いていました。

そんな僕を待ち受けるとあるイベントがありました。
それは、「新入生歓迎会」。

そこでは毎年、新入生に向けた部活紹介やパフォーマンスをしており、「和太鼓部」もその一つでした。
“和太鼓”なんて聞いたときは、そんな地味な部活誰が入るかー、とすら思っていましたが、そこで披露された演奏を見てその考えは一変しました。

「あ、これ入りたい」

音楽として、パフォーマンスとして、衝撃を受けたのを覚えています。
メロディがなく、リズムのみで奏でる音楽は若き渡辺少年にはとても斬新でした。
そして何を隠そう、その演奏をしてくれたのはうちのメンバーでもある、岡本さんだったのです。
(僕らが同じ屋根の下で生活することになるのは、まだもう少し先のお話…)

そしてあれよあれよと入部。太鼓漬けの日々が始まりました。

僕は入部当初から“大太鼓”に惚れ込んでしまい、来る日も来る日も手が血だらけになるまで打ち込み。
夏の合宿では、広いスペースもなかったため、1年生は炎天下の中、外で練習。
ずーっと同じ曲を繰り返し練習していたため、右半身だけ日焼けするなど、笑っちゃうような思い出もできました。

そしてこんな調子で勉強と太鼓を繰り返す日々を送り、尊敬する先輩も間も無く引退という時に、ある出来事が起こります。

―2011年3月11日、東日本大震災

当時の日本は、とても暗く重い空気に包まれました。
国中が自粛ムードに包まれ、街のお店も営業を休止、数多くのアーティストはライブを自粛、学校も休校を余儀なくされました。
先輩たちもこのままでは「引退ライブどころではない」と、何度も何度も話し合いを重ねました。

結果、学校の力添えもあり、校内の小ホールを借りて開催が決定。
無事、成功を収めました。

そして僕はこの頃、こんなことを考える様になるのです。

「僕らって、何のために演奏しているのだろう。」

舞台に立って、ただがむしゃらに太鼓を叩いて、僕らは何を思い、見てくださった方は何を感じるのか。
部活だから?太鼓が好きだから?
そんな糸口は、とある演奏をきっかけに開かれるのでした。


2011年、代が変わり、僕らが部活を引っ張る時。
様々な思いを抱え、春先に僕らはとある小さな老人ホームへと、演奏に向かったのです。

演奏会場はその中の食堂。
入居者さんが2、30人ほどひしめき合って、やっと確保できた演奏スペースは2畳ばかり。
もちろん部員全員で出向くわけにもいかず、部長や上手いメンバー数名を選抜して伺うことになりました。
僕もその中に選ばれたのですが、多くの不安と緊張を抱えていました。

「僕らまだまだできる曲少ないし、どうやって乗り切ろう…」

できる曲の編成を少人数にするなどして、なんとか演奏は無事終了。
「演奏大丈夫だったかな。」そんな不安も残りつつ、最後の礼をすると、入居者の皆さんから大きな拍手をいただきました。
そして帰り際、車椅子に乗ったおばあさまが僕の手を握り、こう呟いたのです。

「…ありがとう」

その目には涙が溢れていました。

僕は不思議でした。
―こんな狭いスペースで、
―演者も4人しかいないし、
―僕らなんてまだまだ太鼓始めて1年しか経ってなくて、
―大して上手くもない、
―覚えている曲数も少ないのに、

それなのに、

それなのにどうして、泣いているの??
17歳の僕には理解できませんでした。

だけど、ただ確かに、その人の心には僕らの鼓動が伝わったのだと、今ではそう信じています。

所詮太鼓なんて、音楽であり、芸術であり、エンターテイメントの一つにすぎないかもしれません。
ですが、確かに人の心を動かす何かがあるのだと、そう感じました。
それは僕がこの部活を選んだ時と同じように。

それからというもの、ひたすら練習に明け暮れました。
当時は、男子部と女子部で部活も別々だったので練習時間も限られていたのですが、休みの日も自主練に費やすなど、当時からそのストイックさを発揮。
お陰で二年生の冬の大会では “個人賞”を頂くまでになりました。
当時の審査員だった現プロ和太鼓奏者の林田ひろゆきさんからは、
「どんな形でもいいから、どうか和太鼓を続けて欲しい」
そんなお言葉をいただいたりもしました。

そして時は流れ、高校卒業の時。
大学進学も決まり、太鼓を続ける決心がついていた私は、数ある和太鼓チームの中からどこに身を置こうか悩んでいた所、一つ上の先輩にこんなことを言われたのです。

『タカヒロは彩に入るべきだ。“和太鼓彩”に入るには、今しかない。』

―この一言で、僕の人生は大きく動き始めるのです。

さて、今回はこの辺で。
次回、渡辺隆寛、和太鼓グループ彩入団編!
乞うご期待。

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

関連記事