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騎虎之祭     by岡本峻一

日時:令和元年8月24日
執筆者:岡本峻一
タイトル:騎虎之祭

皆さまこんにちは!岡本峻一です!

ここ最近、高校生の頃のお話しをしていることが多いので、このまま時系列に沿って、自分が和太鼓の道をどのように歩み、その中でどういった太鼓観を持っていくようになったのか、この場で語らせて頂ければと思っております。

おそらく、僕がどんな想いで和太鼓彩の舞台に立っているのか、これらのテキストを通じて感じて頂けるのではないかと思います。

今回も高校生篇の話が続きます。和太鼓とのファーストコンタクトの場所ですからね、色々な話があります笑

以前、「自分が人の心を動かせることの喜びを知った」というお話をさせて頂いたと思います。今回は、自分の中での高校生の時のもう1つの目標だった「大会」についてお話しをしていきたいと思います。

当時、神奈川県の桐蔭学園和太鼓部では基本的に年2回の大会に出ていました。
夏の大会である、神奈川県高等学校和太鼓部選手権。通称 選手権。
冬の大会である、神奈川県高等学校郷土芸能発表会。通称 郷土芸能。

この郷土芸能で1位になると、全国大会に出場する事ができます。
だいたい毎年、和太鼓部ではこの全国大会出場を目標の1つに日々練習をしています。神奈川で約10校出場する中で、桐蔭男子は大体4位になることが多いと言われていました。1位~3位は、相洋高校、光明学園、中央農業高校という3校以外は入れないと言われ、この3校を打ち破る事が必要でした。

さて、例にもれず全国に出る事も目標に掲げていた僕たちは2年生になり、夏の選手権を目指して動き出します。

高校2年生の終わりで先輩が引退するため、夏の選手権が僕たちにとっては初めての大会。しかも、僕の年で初めて、関東大会という新しい大会の開催が決まり、神奈川県からは選手権の上位5校が出場できることになっていました。

夏の目標は「選手権1位、関東大会金賞」。5位以上なんて楽勝だ、1位を絶対取ってやる。
そういった目標を掲げ、死に物狂いで練習を進めました。週6日、朝から晩まで、部活が無くても自主練で、タイヤで、出来る事をとにかくやりつくしました。大会直前には合宿に行き、葛西さん達彩のメンバーにもそこでご指導いただき、当時の自分としては万全と思えるほど舞台を作り込んでいきました。

そしてついに迎えた夏真っ盛り、8月、選手権。

大会を終え、フタを開けてみると

6位

愕然としました。1位になれなかった、上位3校に入れなかった。それどころか、5位以内にも入れなかった、関東大会に出場すらできなかった。

なんで、なんで、なんで、なんで、、、

そんな思いが自分の中で延々と繰り返されていました。

失意の中で、それでも冬の郷土芸能では1位を取って、全国大会に行きたい、その想いで、関東大会は観に行きました。何が何でも何か吸収してやる、と。するとそこでまた衝撃を受けました。

関東大会に出られなくてよかった。出たら恥をかいていた。

そう思いました。レベルが全然違ったのです。自分たちは巧いつもりでいました。事実、関東大会でそこまで打つ技術という意味で、圧倒的なレベルの差は感じませんでした。それでも、あそこに自分たちが立っていたら、恥をかいていたと、本気で思いました。

何が違うのか、、、
掴み切れないまま、それでも時間は流れ、9月になりました。

その頃、選手権、関東大会でもトップレベルだった神奈川県の強豪、相洋高校の定期演奏会があり、それを観に行きました。相洋高校は高校3年生が夏の終わりに引退するため、この定期演奏会は高校3年生の最後の演奏。実はその3年生たちは冬の郷土芸能で1位になり、全国大会でも優勝した代でした。

その3年生たちの引退公演。圧巻でした。そしてその時改めて思いました。
「相洋高校が定演で演奏したどの曲で選手権にきても、僕らは勝てなかった」
大会のために心血を注いだ、とっておきの僕らの曲でも、彼らが日々練習してきた、それでも大会曲ほどは練習していないであろうどの曲にも、勝つことはできなかった。そう確信をしました。

一曲一曲の質が違ったのです。
今でも当時演奏していた曲は大好きです。しかし、それは大会という場で評価されるというのに向いているか、という事を考えた時に疑問が残りました。

そこで僕は部員たちの説得を始めます。
「冬の大会、このまま既存の曲をやってもきっと俺らは全国にはいけない。それなら、自分たちの代で納得のいく楽曲を作って、一か八か郷土芸能に挑んでみよう。別にそれで俺らが勝てなくても構わない。今後の代のためにも、何か糸口を見つけていかないと桐蔭はずっと全国にはいけない。」

みんながこの話をどれくらい信じてくれたかはわかりません。それでも、僕のこの話にかけてくれました。言いだしたのは僕だったので、当然のように僕が作曲担当になりました。

秋になりかけていた、9月の末の事でした。

ここから地獄のような作曲の日々が始まります。当然、僕に作曲の経験などありません。右も左もわからずプレッシャーと戦う日々でした。

まずはテーマを決めました。幼少期、ブラジルに住んでいたころに学校で習ったサンバのリズム。それが大好きだったので、それを核にした曲にすることに決めました。
次に他の学校や自分の学校の曲、プロの曲それぞれを比べ、何が違うのか、
思いつく限り書き出し、プラスに働きそうな物をとにかく取り入れるようにしました。
特にこの時に大事にしたのが、「いかにお客様にとって楽しい曲にするのか」という事でした。先に書いた通り、作曲経験が無ければ、音楽の知識も全くなかったのです。「自分がみて面白いものを作る」、それ以外によりどころがなかったという理由もあります。それと同時に、色々な演奏を見比べていた中で見かけた自己満足のかっこつけの曲ではなく、とにかくお客様のために、楽しめる曲にしようと、そう思ったのは、以前ヒストリーに書いたおじさんからの一言があったからだと思います。その基準で曲の土台となるコンセプトをまとめていきました。

そうした曲の土台を決めてからは、フレーズ作りです。寝ても覚めても、フレーズを考え続ける日々。しかしそれでもスムーズには進みません。刻一刻と、12月の大会の日は近づいてきます。やっとの思いで、11月頭に一通りの作曲を済ませます。

そして学校近くの区民館での演奏会でその曲を試しに演奏します。
結果は、、、何とも言えない空気。。。
これはまずいと改めてその曲を頭から終わりまで見直し、
改善点を挙げまくり、次から次へと修正を加えます。

そして11月の後半、次は駅前での演奏でその楽曲を披露。
まずまずの仕上がりになっていました。
そのまま大会に出る事も出来たでしょう。でもそれでも尚足りない。

次の休みに何人かの部員とファミレスで何を改善するべきか、みんなで話し合いました。
これが岡本史において重大なポイントとなった、田奈デニーズ会議です。

(少なくとも僕にとっては笑)非常に大事な出来事でした。
ここでみんなで頭を悩ませ、改善点を挙げまくり、しかし残された時間がわずかだから全部は直せないと、優先順位をつけ、次の練習からまたそれらを改善しまくりました。

こうして作り上げた曲が「騎虎之祭(きこのまつり)」という曲でした。
騎虎の勢いという慣用句から取っていて、物事の勢いが盛んになって行きがかり上、途中でやめられないことのたとえから転じて、終わらないお祭りをイメージしたタイトルになっています。

人数は多ければ多い方がいいと、直前に1年生も一緒に舞台に立ってもらうことにし、当時からの付き合いの隆寛(なべっち)も演奏してもらいました。

そして迎えた12月、郷土芸能の舞台。

夏の大会以上の歓声を感じ出番を終えました。
そして結果発表の時。

「2位は、、、桐蔭学園男子和太鼓部」

とても嬉しかったです。1位じゃありませんでした。
全国にも行けませんでした。それでも自分たちが作り上げた曲で、
審査始め、お客様に喜んでいただけたことが、ただただ嬉しかったです。

こんな大変な思いをして駆け抜けた高校2年生。
今見ると競合分析したり、色々試しては改善していたりとなんだか社会人みたいなことをしていますね笑

2010年度に高校2年生だったので、この曲を作ってから来年で10年になります。
当時僕たちが演奏をしていた曲で、今も桐蔭の高校生が叩いている曲は、3曲ほどしかありません。その内の1曲はこの騎虎之祭です。なんと幸せなことか。このまま残っていってほしい、というのはエゴでしかありません。早い段階で使われなくなることが、つまり団体として進歩したということであり、幸せなことなのだと思っています。けれども騎虎之祭を楽しんで叩いてくれている生徒達がいる、それを楽しん見てくださるお客様がいる。それはとても幸せな事です。

作曲という手段に限らず、こんな風に間接的に、和太鼓を好きな人が増える機会を増やしていけるような事を今後もしていこうと思います。

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