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社会人1年目 by葛西啓之

日時:令和元年10月25日
執筆者:葛西啓之
タイトル:社会人1年目

みなさまこんにちは。
葛西です。

前回のレポート(https://wadaiko-sai.com/archives/history/190907)にて、ついに大学卒業を果たした葛西青年。
今回から、社会人篇に突入していきたいと思います。

前回のレポートに書きました通り、私は第一回単独公演にて和太鼓彩を引退。
和太鼓彩は頼もしい後輩たちが引き継ぎ、私は心機一転、太鼓のない生活へと足を踏み込んでいったのでありました。

和太鼓彩はといえば、いわゆる「4年生の先輩が引退し、後輩が次の代を引き継いでいく」という大学のサークルの形に。
この時はまだ誰も、まさか数年後にプロの団体になっていようとは、誰も思っていなかったでしょう。

そんなわけで、社会人篇前半はあまり太鼓と関係ない話が多くなってしまいますが、私の人格形成に大きな影響を及ぼした期間でもありますので、せっかくなのでここに書き記しておきたいと思います。


2009年4月1日。入社初日。会社の入社式、です。
まだまだ着慣れないスーツに身を包み、期待と不安をもって、臨みました。
この時、人事部長からのお話があったのですが、その時にいただいた言葉をとても強く覚えているので、ご紹介します。

「EverythingについてSomethingを語り、SomethingについてEverythingを語れる人間たれ」

という言葉です。
以前、オルフェウス毎月公演「葛西啓之の論理」でもご紹介させていただいたかもしれません。

「社会人として様々な方々と仕事をしていくために、あらゆる事について何かしら語れるようになり、いくつかの事については全てを語れるようになりなさい」ということですね。

普段、あまり人の話を聞かない私ですが(笑)、とても強く心に残ったのを覚えています。
本を読むように意識しだしたのも、この頃からからもしれません。

さて、そんなわけで入社式を無事に終え、この日から約2ヶ月間、研修に入ります。
この研修は、自分の人生の中でも一番濃かったのではないか、というくらい色々な出来事がありまして、細かく書き出すと長くなりすぎてしまうので割愛させていただきますが・・・「世界は一つ、ではない」ということを痛感した2ヶ月間でした。
それまでの22年間で自分が信じてきた「常識」が、一切通用しなかったのです。

自分がこれまで「善」だと思っていたものが会社では「悪」だったり、その逆もあったり。
これまで自分が生きてきた世界はあくまで一つのコミュニティにすぎないのであって、そのモノサシで全てを測ってはいけないんだ、と痛感した2ヶ月間でした。

考えてみれば当たり前なわけですが、人には人の、組織には組織の、国には国の正義や善悪の基準がそれぞれあるわけで、だからこそ喧嘩や戦争が起こってしまうわけで、これから先、この会社からお金をいただく以上、まずはこの会社での正義を学び、全うしなければ。
戸惑いつつも、そんなことを思ったことを、記憶しています。

そして同時に、自分が譲れないモノサシ、“信念”とは一体何なのだろう、と。
10年後20年後に、組織の信念ではなく、自分の信念をしっかり見つけて、それを全うする人生を送れるようになりたいー、そんなことも考えながら、必死にもがき、苦しんでいたように思います。

さて、そんな風にして怒涛の研修期間が過ぎ、いよいよ配属となります。
私は希望通り、「マーケティング」の部署に配属いただきました。
昔からどちらかというと感情的で右脳思考、思い立ったらすぐ行動、そして一度決めたことは意地でも曲げない頑固な性格—、だったため、「データと理論を通じて客観的に物事を判断し、人を説得する」という相反する能力を身につけたかったのです。
「迷ったら険しい道を選べ」なんて言いますが、まさに、自分にあまり馴染みのない、苦手な部署に配属希望を出し、その希望を通していただいたのでした。

配属先は、とある飲料メーカー様担当のマーケティング部門。
マーケティング部門ということで、なんとなく「真面目で固そうな方が多いのかな・・?なんなら優しい先輩ばかりかな・・?」なんてタカを括っていましたが、そこはやはり広告代理店。
しかもお酒を扱っている部署だったので、まあなんとも、日々浴びるようにお酒をいただき、これでもかというくらいボッコボコに怒られ、破り捨てられながら企画書を書き続ける、という生活が始まったのでありました。

そして当時、パワーポイントの使い方ひとつも満足に知らない私に、見兼ねた先輩が与えてくださった初めての仕事がこちら。

「先輩方に、毎日ランチ情報をお届けする」

というもの。

最初に聞いた時は「はい・・・?」と思いましたが、そこはさすがの先輩。
思った以上にその意図は深く、先輩に毎日ランチ情報をお届けするために、読み慣れない雑誌に毎日目を通し、新橋銀座を歩き回り、他の部署の先輩にオススメのお店を聞き、最後にそれをパワーポイントに落とし込んで、毎朝9時までに先輩にお送りする、という業務。
さらに、毎週先輩からテーマが与えられ、1週間、そのテーマに沿ったお店を提案しなければいけません。
*ちなみに、WEBでの情報収集は禁止、というルールもありました。

この業務を、入社した年の6月1日から、翌年の3月31日まで、毎日続けました。
(1日だけ、資料を送るのが約束の9時を過ぎてしまい、この世の終わりかと思うくらい怒られましたが汗)

聞いた当初は「なんのこっちゃ」と思っていたわたくしですが、そうなのです、この業務を通じて、
情報収集力、発想力、人脈、パワーポイント力、そして何より、毎日ひたすら続けるという根性・・・
などなど、たくさんのものが身についていったのです。
いやはや、先輩恐るべし。

そんなこんなで、まとまりのない文章になってしまいましたが、
初めての世界に戸惑い、もがき苦しみながら、怒涛の社会人1年目を駆け抜けていきました。

恐らくこの1年間は、本当にたくさんの先輩方にご迷惑をおかけしたと思います。
今でこそ会社を飛び出し、和太鼓彩の代表としてやっている私ですが、いつか先輩方にきちんと恩返しがしたいと、おこがましくもそんなことを思うとともに、私も先輩方のような偉大な先輩でありたいーと常々思うのであります。

さて、そんなわけで、社会人篇〜1年目〜をお送り致しました
次回からは、一度離れた和太鼓生活に再び戻るに至った心の葛藤を描きたいと思います。

それでは。
 

〜おまけ〜

1年間続けたランチ情報ですが、私が送った全てのパワポ資料を先輩が保存していてくださり、私が異動になった時に、それを「Kasai Walker」という雑誌にまとめてプレゼントしてくださったのです。

それをいただき、先輩の愛情を深く感じ、大号泣する葛西青年なのでありました。

いやはや、いくつになっても先輩の背中は偉大なものであります。

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