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岡本、コーチになる by岡本峻一

日時:令和元年12月7日
執筆者:岡本峻一
タイトル:岡本、コーチになる

皆さま、こんにちは!!岡本峻一です!!

さあ、ここ数回時系列に沿って岡本という人間の和太鼓人生を振り返り、高校部活時代のお話しをしてきました。

高校生活という、貴重な3年間の内2年間を和太鼓部に捧げ、大学受験をすることになります。ぼんやりと自分の将来を考える中で、「和太鼓で食べられたら幸せなのかな」なんて思い始めたのがこの高校3年生の時というのは、以前のヒストリーレポートでも書かせていただいた通り。

が、まあそんなことできっこ無いよな、とそこで終わり。

「早く大学に入って太鼓やりたい」という一心で受験勉強をします。この頃、朝から夜までどこかで勉強し、夜は30分の太鼓の素振りとジョギングという毎日。太鼓熱は冷めず、2年間一緒に太鼓を叩いた仲間たちと太鼓のチームを立ち上げる話もしていました。

高校3年生3月で無事大学合格。大学に進学しますが、色々とあり、チーム結成は大学2年生になってから、という事になりました。

でも太鼓にかかわる事がしたくてたまらなかった岡本青年。大学1年生の間にやったことが、「母校、桐蔭学園和太鼓部のコーチ」でした。ここで出会ったのが、当時高校2年生の酒井、松谷、小川ちゃん、そして高校1年生だった龍史です。

導入がかなり長くなってしまいましたが、今回のお話しは「岡本、コーチになる」の巻です。
「演者」という立場以外で和太鼓に関わるという経験が僕にもたらしたもの、といったお話しをできればと思っております。

さて、太鼓を始めてまだ3年(しかもその内1年は受験勉強で太鼓に触らず)足らずだった岡本青年。そんな僕は高校1年生の指導担当になりました。龍史君の代ですね。

ですので、基本的には1年生をメインでみて、ポイントポイントで2年生を見るという形でコーチをしていました。


(コーチに行っていた頃。いかつい顔をしているつもりの一枚)

当時部長だった酒井と副部長だった松谷とは部活運営に関してたくさん話をし、
大太鼓をメインで叩いていた小川ちゃんとは大太鼓のはなしを、1年生だった龍史はゴリッゴリに指導していました。

部活に行くたびに、今では中々見ないちょっと不安げな目で「岡本さん、今日何しましょう?」と聴いてきた酒井、今とは違う情熱的な瞳で「中々理想通りに部活を運営できない」と相談してくれた松谷、和太鼓彩の可愛い担当小川ちゃんも当時はゴリゴリの大太鼓打ち、そして今とほぼ変わらない龍史君がものすごく懐かしいです。

果たして彼らと2つ3つしか離れていない僕に、和太鼓の、あるいは組織運営の一体何が教えられるというのか。当時から自分に何ができるのかと悩みつつ、「自主性」を重視している和太鼓部だったので、「とにかくできるアドバイスを」という事を目標にできる限りの指導をしました。

大学一年生の夏休みも高校に通っては指導、指導、指導。
せっかく男子校から抜け出したはずが、ずっと高校生男子とわちゃわちゃしていました。

夏が終わり、秋になってもまだ指導漬け。
冬になってもやっぱりそう。
年が明けてもまだ指導。

酒井達の引退の時には一緒に泣いてしまうほど、どっぷり浸かっていました。


(酒井達が引退する時のMTG)

これが2012年の事。

そして翌年、2013年、事件がおきます。和太鼓彩が桐蔭の指導に入ることになったのです。
(書いていて気が付いたのですが、このタイミングは彩がプロ化したタイミングだったんですね、、、。)

ただでさえ、「一体自分に何が指導できるというのか」と悩んでいた当時。
「プロの人たちが教えに来ちゃったら、俺の役割って何?????意味ある???」とますます思い悩みます。悩んだ末「生徒達と年齢が近い」という事以外にアドバンテージは無いと、そのことを支えにできることを考え、コーチに励みました。精神的な距離の近さで、より細かなコミュニケーションを取って、少しでも彼らの状況によりあったアドバイスをしようと。


(和太鼓彩がもってきたプレゼン資料。これを見たまだ未成年の僕の気持ち、、笑)

紆余曲折ありながらも、がむしゃらにコーチという形で和太鼓に関わり続けていましたが、タイムリミットが迫っていました。僕の通っていた大学の学部では基本的に1年間の留学が義務付けられており、2年生9月、僕の場合2013年9月から留学する必要があったのです。

その直前、8月の選手権と関東大会。この大会を目標の1つに定めていた龍史たちの代の為に、できることを全力でやりました。留学に向けた準備が忙しかったはずですが、また夏休みは指導、指導、指導。龍史たちと一緒に、大会の曲をどうしたら、より良いものになるか、来る日も来る日も一緒に考え続けました。

そして、8月の選手権。
いよいよ本番の時が来ました。
客席は各出場校の生徒や、その親御さん、関係者で満席。
その会場の一番後ろで龍史たちの演奏を見ていました。

酒井たちが作った天照道を光照道に編曲し臨んだその大会。
当時3部構成だったその曲が1部から2部へ移った瞬間、満席のその会場にどよめきがおきました。そして最後まで完璧以上の演奏を仕切った彼らに開場中から熱い拍手が送られました。

それは1年と少し、全力で関わってきた彼らの演奏に向けての拍手。
そこまでの大学生活の多くを割き、一緒に練り上げた彼らの演奏に向けての拍手。

とてつもない喜びと充足感がありました。

それは、高校生だった頃の自分が、誰かに喜んでもらえた時に感じたモノと、中身は違えど同じくらいに自分にとって価値あるものである事に気が付きました。

「和太鼓で誰かに喜んでもらえるなら、その為の手段は自分が演者である必要は必ずしもないんだ。」

これが、約1年間コーチを務めた結果、自分が得たものでした。
今自分が和太鼓の道を選び、演奏以外の事もやりながら生きる道を選んだのは、
この経験があったからに他ならないと思っています。

そして、そもそも和太鼓彩に入ったのは、
このコーチ時代に和太鼓彩と指導で一緒になり、葛西さん達と話をする機会があったからこそ。

もし、大学受験をもう1年していたら、彩がプロ化しコーチになるのがもう1年後だったら。。。

コーチという経験があったからこその出会いと学びがありました。
無ければ、今の自分はないと言い切れます。


(最後に龍史たちとその下の代からもらった色紙。ただの自慢です笑)

これからも演奏に限らない様々な形で、和太鼓を多くの方に楽しんで頂けるよう頑張ります!!!

というわけで今回はここまで!!ありがとうございました!!

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