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誰がために太鼓は鳴る by渡辺隆寛

日時:令和元年12月5日
執筆者:渡辺隆寛
タイトル:誰がために太鼓は鳴る

こんにちは、なべっちこと渡辺隆寛です!

前回、ミニライブツアー「解体新書」にて、熱烈デビューを果たした渡辺でしたが、10代の少年にとっては刺激的な毎日を送ることになりました。

さて、今回はそんなドタバタ一年生の物語から。


入団から苦節6ヶ月。
「解体新書」つくば公演にて初舞台を終えた渡辺くん。
団体としてもこの頃から、今や馴染みの筑波山やよみうりランドなど、様々なイベントにお呼びいただくことが増えました。

「デビューも済ませたため、たくさん演奏に出よう!」
「外演奏でたくさん経験を積んで、ホールライブにたくさん活かすんだ!」
と意気込んでいた矢先、初めての外部演奏が決まりました。

そちらが、どん!
2013年9月15日
「○えん〜ひとつの太鼓から〜」

愛知遠征!?!?!?!?!笑

いやいやちょっと待ってください…
いきなり舞台大き過ぎませんか?笑
もう少し経験を積んでから…

葛西「大丈夫、その分たくさん練習しよう!」

まるで崖から突き落とされたシンバ。笑
この頃から葛西さんは葛西さんでした…。

とはいえ今考えると何処の馬の骨かもわからない若造を、こんな大きな舞台に上げてくださったことには非常に感謝しております。
当時はわからなくても、今になってわかることありますよね。きっとそれです。

という訳で、デビューから2週間余りで、団体初?遠征を共に過ごすことになりました。

こちらのイベントは、普段僕らがお世話になっている「三浦太鼓店」さんが主催されたイベント。
本場、岡崎までお邪魔することに。

他団体さんの演奏を拝見するのも、大勢の方の前で演奏するのも初。
全てが不安と緊張でした。

何度も何度も入念なチェックを重ね、本番に挑むことに。

そして、何とこの場で「奏」を披露する予定だったのですが、この日、各団体が持ち寄った大太鼓が計5台。

普段置き太鼓一個打ちで「奏」を練習していたのですが、ここで鶴の一声が。

「なべっち、大太鼓やってたんだよね?大太鼓でベースパートできる?笑」

これが天下の「葛西の無茶振り」である。凄まじい破壊力だ。
まさか大太鼓をやることになるとは思ってもいなかったが、願っても無いチャンス。
貪欲を絵に描いたような性格の僕は、「やってみます」と返答。
矢萩、山田、の背中を借り本番に挑むことに。

当たり前ですがそもそも、普段和太鼓彩は、大太鼓三個打ちなんてやらないので、団体としても初の試み、
この頃は、自分らのライブでまた大太鼓3個打ちができる日が来るとは思ってもみなかったでしょう。

その時した初めての自撮りです。
当時から金衣装って素敵です。

演奏は無事成功。
「○えん」と言う名の通り、和楽器を通じて、人の輪を感じることができたコラボでした。今でも、一緒にやったフィナーレ合同曲「一期一○(いちごいちえん)」のメロディは口ずさむことがあります。

そんな劇的な初外部演奏から1週間後、早くも次の舞台決まっておりました。
それがこちら。

2013年9月22日
「太鼓祭inクレアこうのす 第7回東日本大会」

これまた重い…笑
デビューしてまだ1ヶ月も経ってないですよ。笑

しかも和太鼓彩、その前年に優勝してるんです。
荷が重い…笑

とはいえ、こちらも代表に「出よう」と言っていただいた大事な舞台。
全力を尽くさない手はありません。

そしてこの年は、例年演奏していた「叶」ではなく、あえて「祭宴」で挑みました。
おおよその大会では迫力曲で挑むところが多いのですが、あえて個性と調和を活かしたこの曲で挑むことに。
結果、入賞には至りませんでしたが、この頃からきっと和太鼓彩の「楽しいが響きわたる」が始まっていたんじゃないかと思います。

僕どれかわかりますか?
赤い衣装を履いたのが僕です。
わかりづらいと思うのでもう一枚。

ご覧の通り何とソロまでいただいてたんです。
よくやりきったぞ18の僕。笑

この赤い衣装、仲間内では「COLORSパンツ」なんて呼んでいますが、初めて履いたのは執行さんの赤だったんですねえ。ご存知の方も少ないことでしょう。

そんなこんなで早くも大舞台を立て続けにこなした渡辺青年。
確実に彼の中で変化が起き始めていました。
「舞台に立って人前で演奏する」こととは一体何なのか。

イベントで叩き、大会で叩き、自主ライブで叩く。
一見、同じようで異なる感覚。
ただ漫然と演奏するのではなく、僕の中に着々の和太鼓奏者としての芯が出来始めていました。

『なぜ太鼓なのか。』

そしてそんな矢先、解体新書ツアーも終わる頃に次なるツアーの詳細が発表されました。

そう、それが「凛」ツアーです。

「技術」を磨いたその先に待っている、まだ見たことの無い「表現」の世界。
間違いなく僕の和太鼓人生にとって大きな財産となりました。
その時の話については、次回の彩ヒストリーで。

それでは。

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