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篠笛で初めての作曲「天照道」 by酒井智彬

日時:令和2年5月14日
執筆者:酒井智彬
タイトル:篠笛で初めての作曲「天照道」

こんにちは、酒井智彬です!

今回は、和太鼓彩に入る前、高校生時代の一コマについてのお話です。
現在、高校生の指導に携わることが多いので、改めて当時の気持ちを思い出してみようかと思います。
この当時の出来事が振り返ると、自分の太鼓に対する価値観が形成された一つの要素なんだと思います。

さぁ、それでは行ってみましょう!


〜2012年〜

高校2年生の秋。
文化祭を終え、冬にある大会の準備が始まろうとしていた。

この大会は、来年の夏にある全国大会出場権がかかったものであった。
僕たちは“全国大会に行きたい”とそれはそれは本気で意気込んでいたのである。

今でこそ、
大会に勝つためだけに、貴重な青春を使う、
また、人と勝負するために太鼓をやりたい、
そんな考えをしなくはなったが、

当時の僕たちは、
大好きな和太鼓だからこそ、人に負けたくない。だからこそ大会を勝ちたい。
順番を付けられるために和太鼓をやり始めた訳ではないが、そんな考えを捨てきれなかった。

しかも、僕たちの大会を勝ちたいという思いに火を付ける要因が他にもあった。

それは、部活の引退が延期されるというもの。

従来の慣習ならば、受験勉強に専念するため、高校3年生になるタイミングで部活引退しなければない。
しかし、もし全国大会への出場が決まれば、それに伴い引退が高校3年生の夏まで伸びたのであった。
大好きな和太鼓を辞めたくない、苦難を乗り越えてきたメンバーとともにもっと和太鼓を楽しんでいたい。

そんな思いが根幹にあり、全国大会への目指すことになったのです。

さぁ、いざ目指すとなっても、そもそもとして、
当時の僕たちには、全国大会を狙えるだけの曲がレパートリーとしてあるかどうか疑わしかった。
レパートリーにあったのは、当時の僕たちと同じような状況に置かれてきた歴代の先輩方が作ってきた曲であった。

先輩方が死に物狂いで作ってきた曲で、そもそもとして先輩方が全国大会へ行けなかったのだから、僕たちはどうしようか。

じゃあ、僕たちに合った、僕たちの曲を作ろうじゃないか!!

すんなりと決まりました。
青春の勢いは止まりません。
自分たちの大会曲を作曲することになったのです。

作曲するにあたり、僕が篠笛パートを担当し、他のメンバーが太鼓パートを作ることになりました。

曲のコンセプト・ストーリー・曲名が決まります。
僕たちの楽しい日常、そして迫りくる困難、そんな中自分たちが新しい道を見つけていく。
その名も「天照道」。(今では、編曲によって光照道と曲名が変わりました。)

このコンセプトに合うように笛の旋律を作らなければなりません。
僕の中で明確にあった感情は、審査員含め、会場にいるお客様全員楽しんでもらいたい。
楽しい時間をお届けしたい。

そんなエンターテイメント精神が当時から本当に強かったんだと思います。

そんな中で作った篠笛の旋律。
実は、とある音楽のジャンルをモチーフにしていました。

『ラグタイム』

アメリカで19世紀末から20世紀初めまで流行ったジャズのルーツの一つとされる音楽のジャンル。ジャズが流行る前、アフリカ系アメリカ人が、酒場で弾いていた音楽。
ラグタイムという言葉自体に聞き覚えがない方もいらっしゃるかと思いますが、
映画「スティング」でも「The Entertainer」という曲が使われていたり、ディズニーランドとかでよく流れていますね。

小学生からこのジャンルが大好きでした。(なぜ好きになったかはまた別のお話。)
主にピアノで演奏されるこのジャンルは、
2、4拍子で進行し、左手がマーチのように一定で「ズン、チャン、ズン、チャン」と演奏される中、右手がシンコペーションというリズムをずらして、強調して演奏するというもの。
聞いているとマーチのようにリズムに乗っていて、どこか楽しく聞こえてくる右手の旋律が流れてきます。
その場にいる聴衆を楽しませるために演奏されていた音楽のジャンル。
大会に来て、僕らの演奏を聞いて楽しい気持ちになってもらいたいという熱い思いと重なるところがあり、ラグタイム風な曲を篠笛の旋律で作ってみました。
作った旋律をマーチではないですが、シャッフルというリズムに乗せて、そして篠笛用にアレンジしてみました。

そんな当時の大会の様子です。
高校生の拙い演奏ですが、温かい目でいただけますと幸いです。(笑)

結果としては、残念ながら、その大会では全国大会にはいけませんでした。

しかし、6年という時間を重ね、編曲され、この曲が和太鼓彩の舞台に上がって来たのです。
2018年の彩collection、和太鼓彩の大半のメンバーの母校である桐蔭学園の和太鼓部が出演することになり、この曲を演奏してくれました。

高校2年生に作った旋律と、再び和太鼓彩の舞台で出会うことができた。
そして、今もなお高校生たちが演奏してくれている。
さらに、そんな彼らは和太鼓彩の代表である葛西さんの指導を受け、かつて僕らも目指した全国大会の切符を掴んできてくれました。
そしてその大舞台、全国大会でものこの曲を演奏してくれました。
高校生たちが大きな舞台立つ、その経験を支える要因の一つとして、少しでもこの曲が彼らのためになっていたら、嬉しい限りです。

最後に、高校2年生の時に感じた
和太鼓を用いて、聞いてくださる方に楽しい気持ちになってもらいたい。
その気持ちは今も変わるどころか、強くなっています。

和太鼓の可能性を信じ、聞いてくださる方に最高に楽しい時間をこれからも作っていけたらと思います。

和太鼓彩 酒井智彬

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