これまでと、これからについて。 by葛西啓之
日時:令和2年7月22日
執筆者:葛西啓之
タイトル:これまでと、これからについて。
みなさまこんにちは。
葛西です。
先の新体制発表に関しまして、たくさんのご心配の声やご意見をいただきました。
改めまして、この度は私の未熟さゆえ、このような重要な内容を皆様に戸惑いを与える形で発表してしまい、誠に申し訳ございません。
また、それでもなお、たくさんの方々が和太鼓彩のことを、そしてそこで活動する演者のことを、愛を持って深くご意見くださることに心より感謝申し上げます。
本当にありがとうございます。
我々太鼓奏者は自らの表現したいこと、伝えたいことを、言葉ではなく太鼓を通してお伝えすべきと思っております。
なので、なにをどこまで「言葉」で皆さまにお伝えすべきか、をいつも悩んでしまい、えてして言葉足らずになってしまうことが多いかもしれません。
特に本件に関しては、しっかりと背景や意図を皆さまに言葉でお伝えすべきであったと痛感しております。
コロナの影響で直接演奏をお届けできていないことも大きいかもしれないですね。
今回も相当に悩んだのですが、せっかく存在しているこのヒストリーページに、この体制変更とここに至るまでの思いも和太鼓彩の大きな歴史の一つとして、改めて記しておきたいと思います。
なにぶん不器用で言葉足らずなところが多々ある私ですが、よろしければご一読いただけますと幸いです。
さて、どこまで遡って話しましょうか。
2005年、4人のメンバーで和太鼓彩を立ち上げました。
その後桐蔭学園和太鼓部を卒業したメンバーが年々加入し、2012年には総勢10名の団体となっておりました。
2012年はいま思い返しても、人生で一番熱かった1年。
太鼓が好きで好きでたまらない10人が一丸となって、とにかく「もっと上へ!」「もっと大きな舞台で!」という半ば抽象的な夢に向かって駆け抜け、駆け上った1年でした。
この仲間たちとともに、いつまでも太鼓を叩き続けていたいー、心からそう願っていました。
そして2013年、プロ化。
10人全員が望み、全員が夢を描いていた「もっと上へ!」「もっと大きな舞台で!」という半ば抽象的な夢。
それを実現するために「プロ化」という選択をしたわけでありますが、それはイコール、10人全員ではこの先の道に進めない、という非情な決断でもありました。
この時「プロ」を選んだのは、5人。
他メンバーは社会人メンバーとして、仕事を続けながら活動することになりました。
「プロ」を選んだ5人のために(私を除くと4人ですが)、とにかく練習を重ね、クオリティをあげ、営業に駆け巡り、ひたすらに上を目指す毎日。
一方で、私にとって大切な仲間である「プロを選ばなかった5人」も和太鼓彩の活動を続けていけるよう試行錯誤する毎日。
私は、高校時代から一緒に太鼓を叩いてきた10人全員のことが大切で、彼らのことを心から信頼しています。
社会人メンバーに対しても、「プロを選ばないなら団体を離れてくれ」、そんなことは言えません。
どうすれば両者が幸せになれるのかー、ただそれだけを毎日毎日考え、微妙なバランスのもと突き進みました。
プロを選んだ5人も、選ばなかった5人も、お互いができることを懸命にこなしながら、長年一緒に太鼓を叩いてきた無意識下での「仲間意識」のもと、和太鼓彩という団体を大きくしていった日々。
今思い返せば非常に不安定な状況だったように思いますが、不思議と喧嘩や言い合いはなかったように思います。
高校時代から一緒にやってきた仲間意識が為せる技だったのでしょう。
そんな活動の甲斐もあり、徐々にプロとしての仕事も増えてきて、また、情熱ある若者たちが「和太鼓彩に入りたい!」と門を叩いてくれるようになりました。
そんな状況を経て、まずは「和太鼓で食べていく」ために、そして「和太鼓彩という団体をもっとメジャーに、大きくしていく」ために、2014年ころからは、ひたすらに拡大戦略をとっていきます。
大所帯になってきたメンバーが数チームに分かれ、1日複数現場で演奏する。
1人でも多くの人に「和太鼓彩」という名前を知っていただく。
煮えたぎるほどの暑い夏の日も、突き刺すような寒さの日も、「和太鼓彩」という名前をたくさんの方に知っていただくために、数多くの場所で演奏を行なっていきました。
この時期の演奏では、本当にたくさんのものを得ることができたと思っています。
まずは、本来の目的であった「団体の知名度」。
この時期の活動でたくさんの方々に和太鼓彩の名前を知っていただき、徐々に大きな仕事(規模的にも、金額的にも)もいただけるようになってきました。
そしてもう一つは、「若手の成長」。
毎日毎日いろいろなところで演奏をし、お客様とお話させていただき、メンバー同士でも打ち上げをしてお酒を酌み交わす。
良いか悪いかは置いておいて、学業そっちのけで和太鼓彩の活動にのめり込む若者たち。
そんな若者たちを見て、私はアマチュアだった頃の10人の姿を思い返し、次世代の若者たちが和太鼓彩の活動に一生懸命になっている姿を心から嬉しく思ったものです。
いつか彼らが和太鼓彩を支えてくれる日がくるー、そう確信していました。
渡辺、小川はもちろん、酒井・松谷・龍史・牛道はこうして、たくさんの現場とお客様に叱咤激励されながら、育てていただいたと思っております。
2015年に初の全国ツアー「衝動Ⅱ」を終え、翌2016年は、全てのバランスが最もよかった1年だったように思います。
団体としての知名度もついてきて演奏の規模も大きくなり、
社会人組メンバーもある程度は出演機会があり、
新たに加入した若者たちも着実に成長していく。
2016年12月に行った初の全員集結ライブ「彩Collection」はその集大成として、大盛況に終えました。
(彩TIMES ライブ 第一回でもお送りしましたね)
まさに、プロも、社会人も、学生も、それぞれがどんな立場だろうと、どんな状況だろうと、和太鼓彩は「One Team」だったのです。
少なくとも私は、そう思っていました。
様相が変化してきたのは、2017年ころからでしょうか。
知名度があがり、いただける仕事の規模・金額感が大きくなるにつれて、「より高いクオリティ」を求められるようになります。
当たり前といえば当たり前ですね。
しかし、相も変わらず週末は複数チームに分かれて多くの現場で演奏を続ける日々。
当時中心メンバーだった葛西・山田・萩原・齋・塩見、がバラバラに散らばり、演奏を続けていきました。
時には、葛西と社会人1人、学生3人、の5名で演奏をする、なんてことも。
その内に、私は思い始めます。
「果たして、”和太鼓彩”とはなんだろうー。」と。
こちらでは、葛西と社会人1人、学生3人が演奏している。
あっちでは、齋と塩見と、別の学生3人が演奏している。
もう一方では、萩原と別の学生3人が演奏している。
でも、どれも「和太鼓彩」。
一体我々は、なにをもって「和太鼓彩」と言っているのか?
「和太鼓彩」は、お客様に何を届けているのか?
ひたすらに拡大戦略をとってきた道の先に、そういった疑問にぶち当たったのです。
哲学的に言えば自我の崩壊、マーケティング的に言えばブランドの不統一、とでもいうのかもしれません。
そしてこの頃から、批判のお声をいただくことも多くなってきました。
「和太鼓彩って最近よく名前きくけど、たいしたことないよね」とか、
「人数が多いだけだよね」とか。
私は営業マンとして「一度ご依頼いただいたクライアント様には、100%、絶対にご満足いただく」ことを信条として活動してまして(当たり前ですが)、それまではいつも「太鼓よかったよー!」とご満足いただき、リピートくださるお客様も多かったのですが、なんとなしに、「あれ、なんか、ご満足いただけていないのかな・・?」と思う現場も増えてたのがこの頃です。
当時副代表を務めており、演奏のキーパーソンだった山田が団体を離れたことも大きかったかもしれません。
恐らく彼も、こうした悩みや葛藤を抱える中で、自らの表現するものを別の道に求め、団体を離れることを決意したことと思います。
こうした状況の中、私は徐々に考えを変え始めました。
もしかしたらこの先、「これまで通り全員で進んでいく」というのは難しいのかもしれない、と。
これまでは、プロ・社会人・学生と立場上の垣根はあれど「舞台に立ったら全員同じ。お客様を前にしたら全員プロ」と思って(自分に思い込ませて)、時には社会人・学生にも厳しい要求をすることもありましたが、これからその要求がどんどんどんどん高くなって、どこかで無理がきてしまう。
それはお互いにとって不健全で、楽しい活動ではないー
そんな風に考えるようになりました。
そして2018年頃から私は、「和太鼓彩とは何か?」という答えを探し求めるようになりました。
これはツアーにも色濃くでています。
それまで掲げていた「和太鼓を社会的意義のあるものへ」というスローガンのもと「新世界」という抽象的なタイトルで敢行していたツアーから、「SAI LAND」という、和太鼓彩のアイデンティティを模索するツアータイトルへと変更しました。
「全員で足並み揃えて、迫力と楽しさ溢れる演奏をする」という基本方針を若干変え、齋と萩原にソロの時間を与えたりもしました。(物の怪/岳麓)
メンバーとも、今後目指すべき方向性について、何度も何度も議論を重ねていきました。
これまでの拡大戦略をやめ、演奏の回数も減らし、
「和太鼓彩の信念を明確化」し、「メンバーとクオリティ、ブランドの統一」に着手し始めたのがこの頃です。
しかしこれはこれで、様々な弊害が生まれました。
弊害の大きな一つは、若手メンバーのモチベーションの低下。
これまでは毎週末に演奏があり、メインパートもたくさん任せてもらえて、お客様からも拍手と暖かい言葉をいただけるのが当たり前だった彼らでしたが、
(そうしていたのは、私なりの「若手の成長」への思いがありました)
「ブランドの統一」という名のものと、基本的にはプロメンバーでメインを固め、極力ダブルブッキングも控え、固定メンバーで演奏をしていくー、という方針に変わったのです。
当たり前ですが、若手メンバーが出演できる機会は減っていきます。
また同時に、若手メンバーにメインを任せることが、私自身怖くもなっていたのも事実です。
知名度があがってきた今、和太鼓彩に求められるものは変わっている。
「下手でもいいから、とにかく一生懸命に」
そんな生半可な演奏はもう通用しない。
プロとして一流の、一級品の演奏をお届けしなければいけない。
様々な批判をいただく中で、私の中にそんな脅迫観念が生まれ、チャレンジできる場が少なくなっていきました。
若手メンバーのモチベーション低下—、
しかしこれは、根本的な問題ではありません。
例え出演機会が少なくなっても、私が「こう練習すれば、もっと出演できる」ということを示せていれば、彼らのモチベーションはあがるはずだからです。
つまり、この時の最たる問題は、「私」が、「和太鼓彩の信念」をメンバーに提示できていないことであり、また、トッププレイヤーとして光を浴びているプロメンバーが、その道を後輩たちに提示できていないこと、なのです。
出演機会は減っているけれど、それを増やすために何の努力をすればいいのかわからないー
人にとって、これほど苦しい環境はないでしょう。
彼らの苦しみを横目でみながら、それを明確に提示できない代表としてのふがいなさに心が折れそうにもなりました。
それからは、一刻も早く「和太鼓彩の信念」を明確にし、それをもって、ブランドを確立していかなれければならないー、
とにかくそれだけに集中する日々が続きました。
ノートを何冊もつぶし、齋・塩見・萩原とも何度も口論になりました。
私が団体の信念・ブランドを明確にし、それをプロメンバーが体現し、学生はそれを目指して切磋琢磨するー
そういった健全な組織を1日も早く作らなければ、この団体は潰れ兼ねないー、
そんな危機感がありました。
そんな状況の中でも、日々生きていくために、目の前の演奏を止めることはできません。
「果たして和太鼓彩とは何なのか?」という答えの見つからないままに演奏を行う日々が続きました。
ただぼんやりと、「このままではダメだ。“一流”にならなければ」と焦りだけが募るばかり。
この不安定な中で演奏をすればするほど、お客様が離れていってしまうんじゃないかー
そんな不安に苛まれたこともありました。
そんな不安定な状況に限界がきたのが、10月18日に迎えた東京国際フォーラム公演の本番前に迎えた円陣です。
夢の舞台、東京国際フォーラム公演に向け、1年間、
「和太鼓彩はもっと高みを目指さなければいけない。一流にならなければならない」
そんな抽象的なことをメンバーに強要し続けてきたわけですが、私の目から見て、メンバーが「一流を目指して日々努力している」ように見えない。
そんな不満が溜まっていました。
今思い返してみると、それは明確に、「一流の方向性、団体の方向性」を明確に提示できていない私の責任なわけで、恐らくメンバー1人1人は自分の思う方向性の努力を続けていたのでしょう。
しかし、私が明言できていないばかりに、私のぼんやりと考える「一流の方向性」と、メンバー1人1人の「一流の方向性」の間に乖離が生じ、どうにも納得できない、バラバラとした状況に、私の目からみると「これから先、“クオリティの向上”がこんなにも必要なのに、誰もそのための努力をしていないように見えてしまう」という状況に陥ってしまったのです。
そして私は、円陣内で初めて、こんなことを口走ります。
「1年間ずっと「高みを目指そう。一流を目指そう」と言ってきたけれど、僕は現時点で、自分を含め、君たちが一流だとは思えない。このメンバーで舞台に立ちたくないとすら思っている。
そしてこの大切な大切な東京国際フォーラムの日を迎えるまでに、そのチーム作りを達成できなかった自分に、代表としてふがいなさを感じている。
けれど、5分後には舞台の幕があがって、目の前には1,000人を超えるお客様が僕たちの演奏を待ってくれている。人によっては有給をとって来てくれているかもしれないし、全員が5,000円以上のチケットを買ってきてくださっている。
今からチケットを返金することもできないし、公演を中止することもできない。
今日はこのメンバーで、この舞台を成立させないといけない。
だからどんなに不安でも、どんなにできなくても、これから2時間は、一流を“演じきってください”。
そしていつの日か、この苦しかった1年間があったからこそ、和太鼓彩はここまで大きなったんだ、と言えるような、そんな素敵な経験にしましょう」
と。
正確には定かではないですが、上記のようなことを伝えました。
公演直前の円陣は、とても大事です。
メンバーが改めて一つになり、公演を成功させるために士気をあげる。
そのために前向きでポジティブなワードを並べるのが常ですが、初めて、円陣でこんな気持ちを吐露しました。
メンバーも驚いたことでしょう。
もしかしたら僕がここまでメンバーに感情的に話をしたのは、初めてのことだったかもしれません。
お前らが一流でないことは分かっているし、俺もその答えが何なのかは未だに分からないけど、とにかく「一流を演じきれ」、と、そうメンバーに強要したのです。
代表として、あるまじき姿勢ですね。
しかしそれくらい、私も追い込まれていました。
こうしてメンバー各々が様々な複雑な思いを抱え、和太鼓彩にとっては異様な空気の中、夢の舞台、東京国際フォーラム公演「SAI WORLD」が幕を開けました。
結果は果たしてどうだったかー。
それは見てくださった方々にご判断いただくことで、私には知る由もないですが2005年の結成以来、そして2013年のプロ化以来続いて来た、「様々な立場の人間が、ただ“太鼓が好き”という想いだけでつながって、一丸となって演奏する」という和太鼓彩の在り方の、最後の舞台だったのは確かでしょう。
とはいえ、この公演に後悔はしていません。
当時の和太鼓彩としてできる全てであり、最高到達点だったと思っています。
ただ、こんな悔しい思いは、来年のフォーラムの時には絶対にしないぞー。
そう誓ったのも確かです。
国際フォーラム公演を終えた翌日から、ようやく本格的に、私は改革に着手します。
といいますのも、国際フォーラム公演に向けた様々なチャレンジの中で、ずっと言葉にできなかった「和太鼓彩のアイデンティティ」「和太鼓彩が目指すべき信念」が、徐々に私の中で見え始めていたからです。
(国際フォーラム公演までにそれを言語化し、メンバーに共有できなかったことが残念でなりませんが・・・)
中でも大きかったのは、つんく♂さんとの出会い。
私はつんく♂さんの作られる楽曲が大好きで、つんく♂さんの楽曲を耳に穴があくほど聞いておりまして、その影響は和太鼓彩の楽曲にも色濃く現れていると思います。
しかし、なぜここまでその楽曲に自分が心惹かれるのか、不思議でなりませんでした。
他の作曲家の曲と何が違うのだろうか?
どんな理論があるのだろうか?
「和太鼓彩の目指すべき方向性」を探り言語化するために、その答えを見つけるために、藁にもすがる思いでつんく♂さんに今回の楽曲提供とプロデュースをお願いさせていただいたのです。
そしてその中で、短い時間ながらつんく♂さんとお話しさせていただく中で、「プロとしての音楽家の在り方」を学ぶことができました。
また、「今の和太鼓界が抱える課題と、今後乗り越えなければいけない壁」も教えていただきました。
そしてもうお一方。
今弟子入りをさせていただいている、中村先生との出会い。
団体崩壊の危機感に焦る中、手に取った先生の本「倍音」。
暗闇の中に光が差す、というのはまさにこのことで、絶望に打ちひしがれていた私はこの本を読み、新たな希望を抱くことができました。
その後直談判して弟子入りさせていただき、「和」そのもの、そしてその可能性について勉強を始めました。
こうした活動を経て、ようやく見え始めた、和太鼓彩が目指すべき方向性、信念。
「和太鼓彩」という名の下、各現場ごとにメンバーを変えながら演奏数を増やし、とにかく知名度をあげていくー
その戦略は、もう取ることができません。
私たちはこれからは、大変有難いながらファンの皆様にあげていただいた知名度と格のもと、その知名度と格にふさわしいクオリティの高い演奏をお届けしなければならないのです。
それが、プロとしての責任であり、また、応援してくださった皆様への恩返しだと思っています。
そしてそうした体制を整え、確固たるクオリティの演奏をお届けするために、先に発表させていただいたご挨拶の通り、「チームを実力でわけ、具体的に課題に取り組みやすい環境を作る」こととなりました。
今年の3月に私から、今後和太鼓彩のトッププレイヤーに求める技術力・クオリティを提示し、それを元に、メンバー一斉のセレクションを敢行致しました。
そのセレクションに通過した者が、「和太鼓グループ彩 -sai-」の6名となります。
では、その基準、ひいては「和太鼓彩の信念」が何なのか。
ここに関しては、我々が太鼓奏者として演奏を通じてお届けするべきものかと思っておりますので、ここでは言及せず、今後の演奏を通じて皆様にお届けしていきたいと思っています。
なかなか演奏のできない中、私ももどかしい気持ちでいっぱいですが・・・必ずや皆様にご納得いただき、そしてさらに、世界中の方に感動と元気をお届けできる演奏をお届けいたしますので、どうか温かく見守っていただけますと幸いです。
そしてもう一つ。
「和太鼓グループ彩 -sai- WiNGS」。
なぜこのチームを立ち上げることになったか。
これまで話してきた通り、現状の団体の課題が「ブランドの統一」であるならば、正直、「和太鼓グループ彩 -sai」のみで良いわけで、それ以外のチームを作る必要などありません。
しかし私は、これまでの和太鼓彩を作り上げて来た社会人組・学生組を含めたチーム体制、ひいては、これまで和太鼓彩を支えて来てくれた社会人メンバーと、これから和太鼓彩を支えていこうとしてくれていた学生メンバーを、ゼロにする、という選択はできませんでした。
もしかしたらプロとしてあるまじき甘えなのかもしれませんが、あくまで今回のセレクションは、プロとして重要な一側面の話であって、太鼓を同じように愛し好きで好きでたまらない社会人メンバーや学生メンバーの演奏が人の心を動かすことも多いにある、と信じています。
何より私自身、彼らの太鼓を叩いている姿が好きで好きでたまりません。
和太鼓彩メンバーは私にとって、永遠に大切な「One Team」です。
ブランドの統一を図り、そこに明確な基準を設けセレクションを行なっていくと、必然的に社会人組・学生組の出演機会はどんどん少なく、限りなくゼロに近づいていってしまいます。
しかし、若者が本番を通じてのみ大きく成長していくことは、私自身が嫌という程分かっています。
多少無茶でも若者にチャンスを与え、極限の状況まで追い込まれてはじめて、自分の頭で死ぬほど考えて、練習して、人は成長すると思うのです。
時には失敗も繰り返しながら。
残念ながら、この先「和太鼓グループ彩 -sai-」という名前では、そのチャンスを若者に与えることができません。
「和太鼓グループ彩 -sai-」はプロとして、高いレベルの演奏を確約し、よりハイレベルな音楽性を伴った演奏を届けていくチームです。
失敗は許されません。
・・・しかし、違う名前であればー。
そこに別の名称があれば、彼らにもっとチャンスを与え、当時の渡辺や酒井、遡れば佐藤や執行に与えていたのと同じように、様々な演奏機会を与えることができるのではないか。
そう考え、彼らを単なる「和太鼓グループ彩 -sai-」のサブメンバーとするのではなく、学生主体の組織「WiNGS」を立ち上げることを決心致しました。
そしてまだまだ未熟な彼らを、これまでの全てを経験し、和太鼓彩を作り上げてきた頼もしい「社会人メンバー」が全力でサポート致します。
もちろん、私はじめ、和太鼓グループ彩 -sai- のメンバーも。
純粋無垢な若者たちがたくさんのチャンスのもと、情熱の赴くままに和太鼓を打ち、時には失敗もしながら成長し、ゆくゆくは「和太鼓グループ彩 -sai-」の中核を担うメンバーとして、はたまた、世のため人のために貢献する立派な社会人として羽ばたいていくー
そんな素敵な未来を思い描きながら、「WiNGS」という名前を彼らに授けました。
以上が、今回の新体制に込めた私の想いです。
和太鼓彩は、変わります。
たかがイチ大学のサークルとして立ち上がった団体が、
和太鼓では食べていけない、バカなこと言うんじゃない、
なんて言われ続けてきた団体が、どこまで登り詰め、世界中の人達に認知され、そして、皆様に幸せをお届けできるか。
その世界を、和太鼓彩がそこまで到達した様を、私はどうしても見てみたい。
どんなに苦しくても辛くても、その世界を作りたい。
そう、思っています。
そしてそのために、時には大きな改革を行いながら、メンバーのことを守りながら、ファンの皆様に感謝しながら、前を向いて進んで参ります。
今回私の言葉足らずな報告により、ファンの皆様に悲しい思いをさせてしまったことは、悔やんでも悔やみきれません。
心よりお詫び申し上げます。
もしかしたらあの報告で、もう和太鼓彩のことなんて知らない!くらいに思ってしまった方もいらっしゃるかもしれませんが、どうか皆様に私たちの想いが伝わり、そして、私たちの「演奏」を通じて、皆様に少しでも幸せな時間が降り注ぎますように。
この新体制のもと、皆様の前で胸をはって立ち、
そして、幸せな時間を再び共有できる日が来ることを心より願っております。
皆様くれぐれも、お体にお気をつけてお過ごしください。
(最後に)
まだまだ未完ではありますが、以上のような思いを込め、オンラインライブ2公演を制作致しました。
・Sunflower in your room
・Edelweiss in your room
私にとっては生涯忘れられない2公演になることでしょう。
ぜひ、観ていただけますと嬉しいです。
2020年7月22日
和太鼓グループ彩 -sai-
代表 葛西 啓之
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