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和太鼓の夢と和太鼓の演者と by岡本峻一

日時:令和2年7月23日
執筆者:岡本峻一
タイトル:和太鼓の夢と和太鼓の演者と

皆さま、こんにちは!
岡本峻一です!

先日7月13日、正式に僕、岡本峻一がプレイヤーを引退し、運営・マネジメントに専念していくことを発表させて頂きました。突然のご報告で、直接お伝えすることができなかった皆さまには大変申し訳ございません。

今回のヒストリーページですが、
少し、趣を変えまして、自分の言葉で、今回の発表までの経緯や想いをお伝えしたいと思っています。

岡本のヒストリーページとしては、久々にちょっと重い内容になるかもですね笑
ただ大前提、「今回の選択は僕が進んでした決断であり、状況や何かの要因で仕方がなく選んだ道ではない」ということは、ぜひ皆様に知っておいていただきたいのです。夢のための新しい一歩を踏み出した。それが僕にとっての今回のこの選択なのです。

この後は読まなくてもいいです。
ただその事実だけは皆さまに知っておいていただきたいと、
自分勝手かもしれませんが思っています。

と、威勢よくいうものの、さて一体何から書いたものか。
例によって、今回の決断もあまりに色々な要素があります。

そもそも僕が何を考え、何を思い、何を志して今この場所にいるのか。
まずはそこからお話しをしたいと思います。

僕は大学4年生の頃、自分の進路を選ぶときに本気で和太鼓で生きる道を選ぶかを初めて考えました。
しかしその時の自分は和太鼓で生きる目的が分からなかった事などを理由に、企業に就職することに。

そして社会人となり平日は会社勤め、週末は太鼓という生活を続ける中で、自分が太鼓で果たしたい事を確信しました。

一つのきっかけとなった2017年「復刻版衝動」より「奏」

「和太鼓で世界を平和にしたい」
「和太鼓をもっといろいろな人に好きになってもらいたい」

ともすれば陳腐に聞こえるかもしれません。
しかし、僕はそれを本気で達成したいと思い、今、この道を歩んでいます。

ざっくりとまとめましたが、もしお時間が許すのであれば、
ぜひ僕の過去のヒストリーページを一度お読みください。

【和太鼓を選ばなかった理由 by岡本峻一】
https://wadaiko-sai.com/archives/history/181019

【なぜ和太鼓彩で食べる道を選んだのか by岡本峻一】
https://wadaiko-sai.com/archives/history/181218

【岡本の野望~世界平和~ by岡本峻一】
https://wadaiko-sai.com/archives/history/190608

それぞれ、そこそこ長いのですが笑
どれも自分の中の言葉を大事に掬い上げたヒストリーになっているかと思います。

と、また前振りが長くなってしまいました。
そんな経緯で、夢を叶えるために和太鼓の、和太鼓彩での道を歩みだしたのですが、
実はそんな悩みの中で、僕は他にも色々なことを考えていました。

例えば、「自分は仕事として太鼓が叩きたいのか。それは週末に太鼓をたたくだけでは不足なのか。仕事にしてまでやることなのか。」

その答えは最初に勤めた会社での、平日会社員、週末和太鼓の二重生活で得ることができました。「叩くだけなら、週末だけでもいい。自分は自分が果たしたい目標のために和太鼓を選びたいんだ。」

また、他にもこんなことを思っていました。
「和太鼓彩の規模が大きくなればいつかは演者と運営を分けるべき時が来るのではないか。その時、自分はどちらを選びたいのか。」
これについては大学4年生の頃から思っていました。
そしてこれについても社会人の間に答えは出ていました。
「その時が来たなら、自分は運営を選ぼう。」

これにも色々な理由があります。
例えば、自分の目標や夢を考えた時、その達成のために自分が一番力を発揮できるのは、取りたい立場は運営にあるのではないかと思っていた事。
例えば、亡くなった父が家で酔いながら「峻一は良いビジネスマンになる」とよく言ってくれていた事。

そう、僕はそもそも彩を選んだ目的は夢の達成にあり、その達成のためにはいつか和太鼓彩は演者と運営を分ける日が来るべきであり、その時は運営側として、その夢を達成したいと、思ってきたのです。

そう思い、和太鼓彩での道を歩み始め、ですがその時は思ったより早く来ました。

皆さまに応援頂き、徐々に実績を重ね、だんだん知名度が上がると共に、求められるレベルも高くなっていく事を痛感した2019年。プレイヤーとして求められることはドンドンと大きくなっていきます。一方で、演奏をさせていただく場の規模もドンドン大きくなります。そうなればもちろん、運営として果たさねばならない仕事の量や責任も必然的に増えていきます。

皆さまの後押しでついに実現した昨年の東京国際フォーラム。
そこに至るまでに求められた演者としてのレベルアップ。
一方で運営としても求められることは膨大で、事前準備はもちろん、
前日や当日、東京国際フォーラムの会場に入ってからも、駆けずり回りました。
それこそ、リハーサル中にも何回か抜けなくてはいけないほどに。

そういった日々の中で感じたのです。
「和太鼓彩は演者と運営を分ける時が来たのだ」と。

先にも書いた通り、その時が来たのなら運営側を選ぼうと決めていました。

決めていると思っていました。

ですが、やはりそう簡単に割り切れる話ではありません。

この選択は不可逆です。一度運営側を選べば、演者側に戻る道は無いと言っていいでしょう。

確かに、僕は運営を選ぼうと思っていました。

でもそもそも演奏することが好きでなければ、演奏を通じて皆さまに何かを届けることが好きでなければ、僕の和太鼓人生は高校で終わっていました。

社会人になって血反吐を吐きながら会社に行く日常の中、土日に和太鼓にしがみついてまで自分の将来を悩むようなことはしません。

和太鼓が大好きだから、和太鼓を和太鼓彩で演奏することが大好きだから、ここまで来られたのです。

だからこそ、深く悩み続けました。

その時の自分の決断につながったのは、昨年のとある大きな演奏でした。
イベントのオープニングを飾る演奏をご依頼頂き、クライアントさんとの度重なる調整を経て、ついに迎えた本番当日。

ネット中継もされるほどのその大きな舞台は、無事成功に終わりました。テンションが上がるメンバーを他所に自分の中にあったのは安堵感。あれだけ打ち合わせた大きな案件を無事成功で終わることができた。その安堵感がただただ大きかったのです。

しかしその直後、インターネット中継が話題になり、和太鼓に対して好意的な意見をたくさん見かけました。「ああ、、、たくさんの人が和太鼓を良いものだと思ってくれている。」そのことに、その機会を作れたことに、強く、強く喜びを覚えました。それはステージでの演奏を終えたこととは比にならないほど強いものでした。

その時再確認しました。
「和太鼓を誰かに好きになってもらうために、自分が演者という立場にある必要は、自分にとってないのだ。その場所を作る事に力を注ぎたい。」

その根底には、自分が初めてコーチを勤め、当時高校生だった、酒井や松谷、小川、龍史と接する中で得た気づきがありました。

「和太鼓で誰かに喜んでもらえるなら、その為の手段は自分が演者である必要は必ずしもないんだ。」

引用元:岡本、コーチになる by岡本峻一
https://wadaiko-sai.com/archives/history/191207

それが最後の一押し。
葛西さんに覚悟が決まったことを伝え、昨年の11月中頃、団体内でそのことが正式に決まりました。
(それまでも葛西さんとは幾度となくこのことについて話し合いました。数えきれないくらい笑)

決定から今回7月13日の発表まで期間が空いてしまったこと、申し訳ございません。
今年、2月8日SAI WORLD DVDリリース記念イベントにお越しいただいた皆さまには先にお話しをさせていただいておりました。大筋はここまで書いた内容と変わりません。その場で聞いていただいた方にも、その場でお伝え出来なかった方にも、自分の言葉でこのお話しをさせていただきたく、今回こうしてヒストリーページに書かせて頂きました。

ここまで長く書きましたが、
「和太鼓で世界を平和にしたい」
「和太鼓を、和太鼓彩をもっと多くの人に好きになってもらいたい」
そのために、自分が今できるベストを、運営という立場で果たしていきたいと思います。

これまでの人生、無数の選択をしてきました。
そして今回、また一つの大きな決断をしました。
今回も深く悩みました。考えて、考えて、そしてこの道を選びました。

大きな岐路に立ち、道を選んだ事を自覚した時、いつもそこまでの自分の道を振り返ります。
社会人になった時は、大学生の自分を。
和太鼓彩を選んだときは、前職の自分を。

そして運営一本を選んだ今は、演者として活動したこの2年間を。
それを大変でも素晴らしい日々だったと、今思い起こせるのは、
引退を悔やんでくださる、これまで色々な感想を抱き、時には伝えてくださった皆さまのおかげです。それが僕のこの2年間の素敵で、大事な物です。

僕がプレイヤーを辞めることを残念に思って下さる皆さま、申し訳ございません。
そして同時に、本当にありがとうございます。
そう思ってくださる皆さまがいたから、ここまで来られましたし、
そう思ってくださる皆さまがいるから、こういう選択をすることができたと思っています。

いつか、皆さまに楽しんでいただける舞台を作り上げられるよう、
いつかまた、大きな岐路に立ち、この選択を振り返った時、悪くない選択だったと思えるよう、未熟者ですが全力で邁進していきたいと思います。

これからも、僕たちのことを、どうか、よろしくお願い申し上げます。

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