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鼓劇「イケメン二十面相」②台本制作 by塩見岳大

日時:令和4年11月6日
執筆者:塩見岳大
タイトル:鼓劇「イケメン二十面相」②台本制作

2022年6月26日、
塩見岳大生誕祭2022にて披露した和太鼓演劇、鼓劇「イケメン二十面相」。

この公演で行う内容のテーマが決まれば、
次のステップは台本作りだ。

現代を舞台に「共感」を感じられるような主人公が活躍する物語。
今回の物語は壮大なものでなくても良いと思っていた。

特別な主人公が巨悪を打ち倒すようなものではなく、
どこにでもいそうな主人公が、
誰でも抱えてそうな問題を解決する物語を描きたかった。

実際に完成した主人公がどこにでもいるかと聞かれたらもちろんいないのだろうけど 笑
でも、特別強い身体を持っているわけでも、
特別強い精神を持っているわけでも、
特別強いカリスマを持っているわけでも、
特別強い仲間を持っているわけでもない、
平凡な主人公なのだ。

せっかく現代を舞台にしているのだから、
本当に今を生きる人達が抱えうる問題を解決する物語を描きたいと思った。

では、今を生きる人達が抱えうる問題ってなんだろう…と考え、
様々な候補が出てきた中でも、
特に塩見が描く事に価値がありそうな問題に挑戦した。

僕が非常によく言われる台詞として、
「舞台上とそれ以外でキャラ違うよね」
というものがある。

それは実際にそうであると僕自身も思うし、
そうである事にネガティブな気持ちもない。

「人を楽しませるのが好き」という気持ちが強かったから、
舞台の上に立つのが好きだけど、
初対面の人に対して人見知りをしたり、
一人遊びが好きだったり、
根暗な一面も多くある事を自覚している。

でも、「人を楽しませるのが好き」という気持ちを満たすために、
舞台上に立つ時は「人を楽しませる」という要素に相反する要素はなるべく排除して、
舞台上の塩見というペルソナを作りあげていった。

そこで、舞台上の塩見は本当の自分かと聞かれると、
その回答には微妙に困ってしまう。
本当の自分というのが素の自分という意味であればそうではないけど、
「人を楽しませるのが好き」という気持ちは真実で、
その気持ちを叶えるために補強していったのが舞台上の塩見というペルソナだ。

また、家で一人で漫画を読んだり、ゲームをしている塩見が本当の自分かと問われても、
それもまた回答し難いものである。
その姿は間違いなく素の塩見であり、
そういう時間は必要ではあるのでけど、
それだけではやはり耐え難く、
数ある塩見の内の一つに過ぎないのだと思った。

彩メンバーと会う時、
家族と会う時、
大学の友達と会う時、
初対面の人と会う時、
お客様と会う時、
その時々で僕は違う言葉を使うし、
異なる仮面を被る。

でも、そのどれもが嘘の自分であるとは思えない。
そのどれもが塩見という人間を構成する大切な一部だと思うのだ。

だから僕は人間の多面性を肯定するような物語を作ってみたいと思った。

相手によって仮面を変える人間に対して否定的な意見を持つ人もいるかと思うし、
その気持ちが理解できないわけでもない。
人の多面性を否定する人がいたとしても、
それは仕方がないと思う。

でも自分は自分の多面性を認めて、
受け入れてあげないとそのペルソナが可哀想だし、
自分の一部を否定している状態はあまりに辛いと僕は思うのだ。

そんな想いから、
僕は数々のペルソナを抱える主人公が、
それによって傷つきつつも、
試練を乗り越えて、
自分自身を認めてあげる物語…
「イケメン二十面相」の大筋を書き上げた。

これだけだと悲壮感溢れる主人公のシリアスな物語になってしまうのだけど、
僕のやりたい事…お客様に楽しんでいただく事はもちろん忘れない。
これがおそらく塩見の持ち味でもあるわけだし。

上記の物語にエンターテイメント性を付与していく。

軟派な男から急に漢気に満ちた男に変身したら面白いかなーとか。
弱気な男からゴリゴリのラッパーに変身したら面白いかなーとか。

そして和太鼓との親和性ももちろん重要だ。
和太鼓で表現しやすいキャラクターというものがどんなものか、
様々なアイデアをリストアップしていき、
主人公を取り囲む登場人物達を形取っていき、
過去の経験と照らし合わせて舞台上で演じる上での最適化を行った。

そして完成したのが、
「イケメン二十面相」の台本だ!

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