塩見の家出騒動 by塩見岳大
日時:令和2年11月3日
執筆者:塩見岳大
タイトル:塩見の家出騒動
塩見岳大は今でこそ和太鼓奏者ですが、
生まれた時から和太鼓奏者を目指していたわけではなく、
人生いろいろな回り道もして参りました。
今日は高校三年生、
和太鼓部を引退して周りも受験一色の中、
「自らの夢はなんだろう」と葛藤した青春の物語を書こうと思います。
僕は和太鼓部を引退した時点で大学に入ったら和太鼓チームを作ろうと決めていました。
それが後の和太鼓音劇団 La Casta という大学時代に所属したいた和太鼓サークルになるのですが、
僕には和太鼓以外にもう一つやりたいことがありました。
漫画家になりたかったのです。
幼い頃から絵を描くのが好きで、
部屋は漫画で埋もれていました。
高校時代にはノートに漫画を描いたりして友達に見てもらったり…
もしかしたら齋にも見てもらったかもしれません。
とにかく漫画を読むのも描くのも大好きで、
受験生ながらもその気持ちに折り合いをつけることが出来ませんでした。
そしていよいよ僕は親に切り出します。
「漫画家になりたいので受験しません!」
僕がそう言うと、想定通り親とは大喧嘩になりました。
中高と進学校に通わせてもらい、
和太鼓部で部活三昧をして高校三年生に上がったら次は漫画家になりたいと言い出すとんでもない受験生でした。
親は大学を卒業してからでも漫画家にはなれると言い、
現時点で大学に行かない決断は未来の選択肢を狭めると言って反対したのです。
今思えば正論だと思います。
大学に進学するお金まで払ってくれると言うのですから。
しかし、当時の僕は一度思い込んだらもう止まりません。
受験はしないと言い張り、話は平行線へ。
そして僕は決断しました。
家出しよう!
僕は自分で言うのも変な話ですが、
反抗期という反抗期もなく、
親の教育のおかげで比較的「良い子」でした。
しかし、走り出したら止まらない僕はその晩に、
「家出します!」
という書き起こしを残して家を出ました。
リュックには画用紙やペンなどの文房具と、
少しの着替えを詰め込んで飛び出しました。
映画や漫画の見過ぎで携帯を持っていると追跡されると思った塩見は、
携帯すら置いていきます。
所持金はなけなしの小遣い2万円。
深夜24時頃に家をでた僕はそれから考えます。
さて、どこへ向かおう。
計画性皆無です。
僕はそこから和太鼓部の友人の中で唯一徒歩圏内に家がある、
A君の家へと向かいました。
歩くこと40分ほどでA君の家の前へ到着。
しかし、塩見は携帯を持っていません。
A君に連絡は取れないのですが、
正面からインターホンを押せば当然ながらA君の両親と遭遇し、
そのまま家へと送り返されるリスクが発生します。
僕は考えました。
A君の家は一軒家でA君の部屋は一階にあります。
僕はA君の部屋の窓へと立ちましたが、
ここで一つ問題が起きます。
もし、皆様が寝ている間、
唐突に部屋の窓を叩かれたらどう思うでしょうか?
恐怖を感じるかと思います。
最悪の場合親を呼ばれる可能性だってあります。
僕は考えました。
そして天才的なアイデアを思いつきます。
僕はA君の窓を叩いたのですが、
その際に高校和太鼓部の楽曲「甕星」を奏でたのです。
これによりA君はすぐさま窓を叩いている人間が和太鼓部であること、
その中でも深夜にそんなはた迷惑なことをしでかす人間は塩見しかいないことに気付きます。
そしてA君は快く(?)僕を迎え入れてくれました。
その晩はA君と語らいながら、
A君の部屋の床で眠りました。
A君本当にありがとう!
最難関である家出初夜を乗り切った僕には、
もう怖いものはありませんでした。
翌日、僕は学校をサボって秋葉原へと向かい、
漫画家になるための画材や本を買い漁りました。
この時点で残金1万円を切ります。
真昼間の代々木公園で漫画家になるための本を読み、
夜は漫画喫茶に泊まりました。
この時代はまだ年齢確認が厳しくなかったので、
無事に泊まることができ、そこで漫画を読んだり描いたりしていました。
ご飯は大好きなラーメンを食べ、
自由気儘に過ごしていましたが、
塩見は重大なことに気が付きます。
金がない!
当たり前です。
お小遣いは減っていく一方で当然ながら収入はありません。
結局僕の所持金はすぐに底をつき、
僕の家出ライフは一週間も経たずに幕を閉じることとなりました。
家に帰ると親には叱られましたが、
思っていたより優しかったです。
僕は痛感しました。
結局僕は一人で生きていく力のない、
親の保護下であぐらを書いていただけの人間だったのです。
バイトをした事もなく、社会のことなど何も知らない小僧だったのです。
身の程を知った僕は大人しく親の言う事を聞き、
受験勉強を始めました。
結局一浪はしてしまったものの、大学へと進学し、
和太鼓音劇団 La Casta というチームで和太鼓を叩き、
やがて和太鼓彩と出会うのです。
親からしてみれば、
漫画家になりたいと言って飛び出した子が今度は和太鼓奏者になりたいと言って家を飛び出すことになるのですから、さぞかし困惑したかと思います。
しかし、大学にいく判断は今は本当に正しかったと思っています。
見識が広がりましたし、何より和太鼓彩と出会うことができました。
親には感謝をしております。
塩見岳大は今でこそ和太鼓奏者ですが、
生まれた時から和太鼓奏者を目指していたわけではありません。
人生いろいろな回り道もして参りました。
しかし、そのいろいろな回り道をしたおかげで今という僕の人格は出来上がり、
和太鼓彩と出会う事もできたのだと思っています。
和太鼓彩のメンバーには幼い頃から和太鼓奏者になりたかったというメンバーはおらず。
いろいろな回り道をしてきた人達の集まりでございます。
だからこそ表現できるもの、
考えることが出来るアイデアが和太鼓彩にはあり、
僕はそれが和太鼓彩の魅力の一つであると思っています。
皆様是非、いろいろな人生の回り道をしてきたメンバーが辿り着いた、
和太鼓彩という道をこれからも変わらず応援していただければと思います。
今日はそんなメンバーのうちの一人のとるに足らない回り道を紹介させていただきました。
ありがとうございました!
この記事へのコメントはありません。