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衝動Ⅱの決戦は金曜日〜和太鼓奏者のツアーへの向き合い方〜 by渡辺隆寛

日時:令和2年12月30日
執筆者:渡辺隆寛
タイトル:衝動Ⅱの決戦は金曜日〜和太鼓奏者のツアーへの向き合い方〜

さて、前回は「衝動Ⅱ」各曲のコンセプトや思い出を振り返ったわけですが、
今回はツアーへの向き合い方について。

本ツアーは和太鼓彩の中でも、比較的長い期間をかけて行った公演。
「ロングラン公演」とも言えるその期間、「全く同じ演目、全く同じ公演をどんな気持ちでやればいいのか」
これ実はアーティスト業界で、おそらく誰しもが一度は考える「問い」だと思います。

今日はそんな「問い」に対して、2015年当時の思いと、今の考えをクロスオーバーしてまとめてみました。
今日のヒストリー、結構面白いと思うんですがいかがでしょう?
ま、面白くするのは自分次第なんですけど(笑)


◆「慣れ・だれ・崩れ=去れ」

時間がない方はこの章だけ読んだらおしまいでもいいくらい、今回の本質はここにある。

皆さんは表題の言葉をご存知だろうか?
これは劇団四季の創設者であり、演出家の浅利慶太氏の有名な言葉の一つ。

「慣れで芝居がだれて崩れるような人はいらない、いつでも新鮮な気持ちで」

エンターテインメントの大きな答えの一つがここにある。

そもそも劇団四季のようなロングラン公演はアメリカのミュージカル文化に依拠していて、
同じ公演を、終了期間を決めずに上映する。客が入らなくなったら、即終了。
それが数ヶ月、数年にわたる時もあれば、数日という短期間になるものもあるだろう。

「衝動Ⅱ」はロングラン公演とまではいかないが、半年にわたる中長期ツアーであることは間違いなく、
私たち演者は、その「衝動Ⅱ」という公演に対して、その期間常に意識を張り続けることになる。
特に「衝動Ⅱ」はコンセプトがコンセプトなだけに、毎公演の集中力だけで気が飛びそうになった。
結果、「初演が良かった」「千秋楽が良かった」なんて言われることがあるかもしれない。
(ただ、この事象に関しては和太鼓特有のファクターもあるので、それは後述する。)

今までも「衝動」「COLORS」「凛」など、ツアーがなかったわけではないが、今回、公演数はいつもの3.5倍(!)
特に「慣れ・だれ・崩れ=去れ」とのバランスで難しかったのは、
「緊張」と「緩和」のバランスである。

・初演は、ただならぬ緊張感があるが、ツアーの後半と比べれば幾分かの硬さが出る。
・逆に、千秋楽なんかは余裕を持って本番に臨めるが、緊張感が薄れる。

「いつでも新鮮な気持ちで」
これが単純明快で、かつ難解な答えなのだ。

ただ衝動Ⅱに落とし込むとシンプルで、
ある種僕ら若手は、毎公演必死に打ち込むことが「衝動Ⅱ」のコンセプトに合致していたのだ。
あとは打ち慣れた時に必死さが消えないよう、先輩たちの緊張感を肌で感じながらステージに立つ、ただそれだけだった。

今後、あらゆるツアーをやっていくことになるとは思うが、
この「慣れ・だれ・崩れ=去れ」の言葉はいつまでも大切にしていきたい。


(2015年9月5日:東京公演第二弾@かめありリリオホールでの自撮り)

◆「ライブは生モノ」

しかしここで、新たな疑問が浮かび上がった。

「確かにミュージカルやサーカスは、“作品”としての側面が強いが、僕らがやっているのはあくまでパフォーマンスに依拠した“音楽”。しかも音源を介さないアコースティックな生ライブで、毎公演、空気や温度が違っていても、おかしくはないのではないか?」

うむ、面白くなってきた(笑)

確かに、僕らは普段、音源やイヤーモニターを使わずに自分たちのテンポ感や、体調、その会場の空気、温度、匂い、音の響き、空間の広さ、お客様の表情、
あらゆる事象を介しながら演奏に取り組んでいる。
特に、ショッピングモールや地域のお祭りなどの演奏が多かった当時は、余計にその気が強く出ていた。


(2015年9月11日:青森公演@三沢市公会堂での集合写真)

―では果たして、ライブではどこまでこれが通用するのか。―

例えば、お客様がめちゃめちゃ盛り上がって、会場のボルテージが最高潮の時に、普段通りのテンポではちょっと物足りなく感じる。その時ややテンポアップして演奏することは「悪」か?
はたまた、初演と千秋楽のアンコールに開放感の差が生まれることは、ライブコンセプトから逸脱するか?
これが生モノとしての面白さである。

結論からいうと、この問いに答えはない。

特に、和太鼓という特性に着目すると、その日の体調や、演者の人生そのものが打ち方に表れる。
過酷な環境下で行えば、荒々しい表現になるだろうし、
「太鼓を叩きたい」という思いがなければ「衝動」は生み出せない。
ましてや、千秋楽のアンコールなんて、他とは違って当たり前である。

ただここで気をつけたいのは、
「その一時の感情で舞台を左右されてはいけない」、と言うことだ。
これは「Japanese season color 〜四季多彩〜」の時にも、つんく♂さんに強くこのことを言っていただいた。

あくまでも、「ライブ」という、時間、空間を共有している皆さまとしか味わえないこの瞬間を、共に噛み締める。
「どうだ!すごいでしょ!」と演者のエゴになってしまっては終わりだ、と言うことを忘れてはいけない。


(2015年9月13日:岩手公演@田園ホールでの自撮り)

◆「音楽」とタイム感

現在、僕はドラマーのArmin T. Linzbichlerさん(以降、アーミン)に師事し、日夜ドラムの勉強をしているわけなのだが、ただ技術を学んでいるわけではない。
アーミンは数々のミュージシャンのバンドセッションや、生ライブを得意とする、根っからのミュージシャンで、僕は練習を通して音楽に対する考え方などを学んでいる。

「和太鼓」というものは非常に特殊な発展を遂げてきており、まだまだその途上にある。
洋楽的な音楽のマインドとはかけ離れていることも多く、和楽器的な音楽がいいか、洋楽器的な音楽がいいか、それ自体は一長一短であろう。
そして今後の和楽器界の発展には、少なからずこの洋楽的な考えをフィーチャーすることが必要であると考えている。

さて、和楽器界はともかく、洋楽器、そしてボーカルが入るようなライブの時、「走り」「もたり」があるかを尋ねると、それはやはり多少なりあるらしい。

しかしアーミンからはこう言われた。
「音楽が気持ちよく走らせたなら、走らせればいい」
なるほど…。

やはりアコースティックでやっている以上、そこに「音楽」は存在するのだ。
やはり先人の言うことは違う。

曲中、演奏しているテンポの半分の速さでゆったりビートを刻む瞬間を「ハーフテンポ」と言うのだが、
これをジャズ演奏などで波形検査してみると、なんと明確な1/2であることは少ないのだ。
やや後ろに引っ張ることの方が多く、逆にその方が「気持ちよく聞こえる」らしい。
音楽って深すぎやしませんか…

では和太鼓に置き換えるとどうか。
例えば「物の怪」の「間」。
仮にSAI WORLDで演じた「物の怪」と、ショッピングモールで演奏した場合の「物の怪」で比較してみよう。
(おそらく後者は絶対やらないと思うが(笑))

その際、買い物中のお客様と、国際フォーラムの座席に座っているお客様との間で、流れている時間の感覚に差はあるだろうか。
もちろん僕らは相対性理論を真っ向から否定できるわけではないので、人間に与えられた時間は平等なのだが、その感じ方に差はあるだろう。
おそらく、あの物の怪の「間」は毎公演、二つとして同じ「間」はないのだ。

何度も言う、音楽って深いのだ…

そこで考えると、やはり、同じ内容の公演と言えどおそらく別物なのであろう。

(余談)
少しばかり話を脱線すると、僕とアーミンが出会ったきっかけは僕が働いていたイタリアンレストランでのこと。
そのレストランでは毎晩、生のジャズライブを行われており、アーミンはその出演者。
僕はスタッフ、という繋がりだった。

元々家が近くで、帰りしな車でお家まで送ってもらうような仲で、「まさかタカがプロのミュージシャンになるなんて!」と未だに会うたびに言われる。(笑)

その頃からアーミンのプレイをよく見ていたが、やはり素人ながら何か引かれていたのだろう。
外国人特有のリズムの取り方(=タイム感)みたいなものを持っており、日本人に馴染みのないことが多い。
今後はこの辺も勉強していって、和楽器界に新たな風を吹かせられたらと思っている。

◆以上を踏まえて「衝動Ⅱ」では

もちろん芸術に正解なんてないので、ここに書く必要もないのだが、
あえて記録として一つ残すとしたら、
「一期一会」
この一言に尽きるほかなかった。
「一つとして同じ舞台はない」のだ!


(2015年10月某日:奈良・兵庫公演に向けた決起会)

お客様も、時間も、思いも、毎回異なる。
今回は初の全国ツアーかつ、初めて訪れる土地も多く、「まずは出会えたことに感謝しながら叩こう」、その一心で立ち臨んだ。
そしてその中で、僕の紡ぎ出せる「衝動」を全力で表現するしかない!
その中で、お客様が「あ、今日はこういう印象だったな」「今日の気持ちにはここがリンクしたな」そんな風に捉えてくだされば、アーティスト冥利に尽きる。

やはり21歳の考えは単純で、結果的に簡潔なものであったが、
「衝動Ⅱ」が音楽とは、ステージとは、パフォーマンスとは、をより深く考えるきっかけになったことは間違いない。
こうやって昔のことを思い起こしながら語るのも、なんだか悪くない。


おかげさまで、「衝動Ⅱ」公演中の主観の記憶が実はあまりない(!?)
というか、この公演も含め演奏中はフロー状態に入っていることも多く、明確に「この時はこう思った」と思い返すことが実は難しいのだ。

それだけ僕らは、目の前のお客様に楽しんでもらうことだけを考え、必死に打ち込み続けている。
それが和太鼓奏者なのだ。


(2015年10月12日:兵庫公演@明石市立 西部市民会館ホール)

昨今、オンラインライブが主流になる仲で、淡々と演舞を披露することもあれば、
やはり目の前のお客様に向けて演奏する喜びもある。

どんな戦い方になろうとも、
「僕らがいいものを作り上げて、それを最高の形でお届けする」
と言う本質は今後も変わらないのであろう。


(2015年11月27日:千秋楽・神奈川公演@サルビアホールの舞台裏)

あれからまもなく5年を迎える。
僕らの進化は止まらない。

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