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和太鼓の道と教師の道 by酒井智彬

日時:令和3年4月29日
執筆者:酒井智彬
タイトル:和太鼓の道と教師の道

2018年春。
ツアー「新世界」を終え、束の間の休息は・・・・・できるはずなく、
和太鼓彩の活動と大学を両立する僕には、とある人生の分岐点が訪れていました。

〜大学4年生〜

大学の最終学年になる。つまり、次の人生の選択をする時期。
そう、やってまいりました就職活動!!

和太鼓彩の先輩方も通ってきた人生の今後を決めるターニングポイントです。
先輩方には、葛西さんのような社会人を経験してからプロという道を選択した人や齋さん・塩見さんのように大学院や大学を卒業し、そのままプロの道を選んだ人がいました。

僕は結果として、大学を卒業し、社会人を経験せず、プロの道を選ぶという人生の選択をしました。
今回は、そんな当時の僕の和太鼓彩でプロになるという選択をした時のお話を書いていきたいと思います!
どうぞ温かくお付き合いいただけますと幸いです。


当時の僕には、2つの進路で悩んでいました。

まず1つ目、それはもう言わずもがな「和太鼓奏者になること」です。

高校時代に出会った和太鼓という楽器の魅力にどっぷりハマり、大学の学生時代のほとんどの時間を費やしてきました。(https://wadaiko-sai.com/archives/history/200301

それはそれは、もう一直線に和太鼓という楽器に向き合っていました。

和太鼓彩で創作的な和太鼓演奏(以後、創作太鼓)の自由な表現の楽しさやエネルギッシュな舞台を学ぶ毎日。
創作的な和太鼓の自由な表現には正解がなく、和太鼓の持つ無限の可能性に魅了されました。

それと同時並行で、創作太鼓とは異なる意味で和太鼓を用いる民俗芸能を大学の和太鼓サークルで学んでいました。
というもの舞台芸術としての和太鼓演奏が成立する前までは、民俗芸能で用いられることが多かった和太鼓。和太鼓がどんな使われ方をして創作太鼓へと発展していったかを知りたく、民俗芸能の勉強を始めたのでありました。

日本全国各地の芸能を見て回ると、独自に発展を遂げた民俗芸能が無数にあり、その音楽の多様性や芸能を継承する方々の精神性等、勉強したいことが山のように生まれてきました。

このように和太鼓について、真面目に取り組めばと取り組むほど、楽器の持つ魅力に引きつけられるという一種の沼にハマったかのような状態でした。

和太鼓奏者になれば、この学びをさらに深めることができる。

なんと魅力的でしょうか。

さらに、和太鼓奏者になれば、その学びを体現する演奏もできる!!

演奏を通して、自分が見てきた世界や和太鼓の魅力を表現・共有し、お客様にお届けすることができる。

その結果、お客様が楽しんで・喜んでいただけたら、なんという幸せなことでしょうか。


もう1つは「教師になること」です。

こちらのヒストリー(https://wadaiko-sai.com/archives/history/200811)でも述べましたが、当時の僕は教師になるという目標を持ち、教育大学に通う大学生でした。

なぜ、教師になりたかったか。
それは僕の昔からの「気質」と「子どもが好きなこと」が主な理由です。

小さい頃から、人を楽しませること・喜ばせることが大好きでした。
昔からピアノを習っていて、自分の演奏を聞いてくれた方が、楽しんでいる様子が子どもながらに好きだったことを覚えています。
当初は、褒めてもらいたいというような承認欲求だったかもしれませんが、次第に聞いてくれる人と一緒に時間を楽しむことが好きになってきました。
自分が何かしてあげて、その人に喜んでもらいたい。
一緒にその時間を過ごして、楽しみたい。
根っからのエンターテイナー気質を持つ少年時代でした。

だからこそ人の反応が見られるような、人と直接的に関わるような仕事をしたいと考えるようになりました。

そして、子どもが好きだった僕は、子どもたちと一緒に楽しみながら、彼らの役に立つようなことをしてあげたい。
教育実習を経てもその想いは変わることなく、より一層強くなっていくのでした。

そして、もし教師になったら、やってみたいこと(野望)のようなこともありました。

それは、地域の民俗芸能と子どもたちを結びつけることです。
再び和太鼓の話に舞い戻ってきました。和太鼓からどうしても逃れられない(笑)

様々な地域には、独自の民俗芸能があります。
大学時代、日本各地の民俗芸能を見ていく中で、芸能の持つ問題点を目の当たりにしました。
それは後継者問題です。もちろん地域にもよりますが・・・
地域に根差した音楽が、後継者不足によって、伝承を困難としているものがありました。
これは子どもたちにとっても深刻な問題だと感じました。
芸能の消失、それは地域のアイデンティティの喪失であるからです。
結果、自分が住んでいる場所に興味を持てず、郷土への愛着を感じることができない。
ひいては地域社会を継続させることができなくなる社会問題へと発展します。
僕自身、幼少期に遠距離の引越しを経験し、自分の故郷・アイデンティティがどこにあるのかイマイチ実感がありません。
しかし、友人によっては地域の芸能に携わり、地域のことを誇らしげに話している様は、大変格好良く、地域愛に溢れたものでありました。

僕は、和太鼓を長年やってきて、かつ、日本各地の民俗芸能を見て回ったことからこそ、教師になった際には、地域の芸能への理解を努めることができる自信がありました。
数年で地域の芸能の全てを理解できるとは思っていませんが、その魅力を抽出し、子どもたちと芸能を結び付けることができるのではないかと考えていました。
確かに娯楽が溢れる時代において、子どもたちにとって町の芸能やお囃子は、取っ付きにくいかもしれませんが、いざ自分自身やってみたら絶対に楽しいんです。
伝統的な生の楽器に触れ、生の演奏で踊るということは、子どもたちの原体験となるのです。


この2つの選択肢を悩み続けましたが、ツアー「新世界」を経験することで、選択肢は、ほぼ一つに固まります。

それは、

「和太鼓彩で和太鼓奏者になること」

別に教師になって教育に携わることを諦めた訳ではありません。
和太鼓彩ならば、和太鼓をやりながらも教育的な活動をできると思ったからです。

その背景には、当時の団体のスローガンやツアー「新世界」のコンセプトである「和太鼓を社会的意義のあるものに」という目標がありました。
和太鼓の魅力を探究しながら、演奏活動を行い、さらには和太鼓の社会的意義を強くするため、和太鼓を用いた教育活動を展開する。
こんなにも自分のやりたいことをできる選択肢はありません。

しかし、人間は自分がかわいいものですから、自分の選択に対して逃げる言い訳がたくさん出てきます。

安定の教師、一般的に考えたら不安定な和太鼓奏者。
折角、小・中・高校の教員免許を取得したのに、勿体ないなぁ・・・
大学出さしてもらったのに、親はなんて言うんやろうか。泣かれるんかなぁ。
教師になったら、いわゆる普通の生活をできるのではないのか。
それも悪くないのではないか・・・
自分にはプロで食べていけるだけの才能はあるのかな・・・

もう、悪魔のささやきです。
やめてくれよと自分に言い聞かせながら、心の中では、もう大方選択は決まっていました。

ここからはトントン拍子で話が進みます。

そんな心境の中、意を決して、代表の葛西さんにお願いし、専業組(当時、和太鼓彩を仕事にしているメンバーの総称)になったら、どんなことをするのかお話しする場を設けていただくことになりました。

一旦、お話を聞いて、自分の中でもう一回考えようと。
本当に覚悟が決まったら後日、本気でお願いしようと。
今日は、話を聞くだけ、話を聞くだけ・・・

軽く飲みながら話すかということになり、仕事終わりに向かった神奈川県のとある居酒屋。
この居酒屋は一生忘れません。

真面目に仕事の内容のお話しをする中、自分の考えを話すことになりました。

あらいざらい自分の考えを葛西さんに伝えます。
きっと葛西さんは、僕の心の中では決まっている選択を察してくださったんだと思います。

葛西さん「想いは十分、分かった。大学卒業したら雇うから、よし血判状作ろう!」

酒井「え、今!?」

突然の提案に驚きを隠せませんでした。
また、僕の突然の話にも関わらず、就職を認めてくださる感謝の気持ちで一杯でした。
お話を聞くだけかと思ったのに・・・
あれ、なんで、僕、拇印押しているのかなと(笑)

勢いって怖いですよね。
あれだけウジウジ悩んでいたのに、
今、この瞬間にこの選択をしないと後悔すると思ったんです。

そして目の前に出来あがった誓約書。
「大学を卒業したら、和太鼓彩に就職する」という文言付き。

まさか拇印を押すと思っていなかったであろう葛西さんも僕も笑うしかなかった。

こうして僕の就職活動は幕を閉じ、和太鼓彩で仕事をするという選択をさせていただきました。

しかし、落ち着く間もなく次の公演「SAI LAND」六本木泉ガーデンギャラリー公演がやってくる。
僕はそこでプロを選択したからこそ、これまでよりも責任感を持ち公演に向かうのである。とある曲に想いを乗せて。

つづく。

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