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目立つな。〜「Q」で命ぜられた、和太鼓×黒子〜 by渡辺隆寛

日時:令和3年12月12日
執筆者:渡辺隆寛
タイトル:目立つな。〜「Q」で命ぜられた、和太鼓×黒子〜

さて久々になりますが、渡辺少年物語でございます。
どこまで行ったか覚えてますか?笑

「彩Collection2016」を題材にアイデンティティのお話をしたり、
ゼンダイミドンを題材に「舞台に立たない決意」のお話をしました。

忘れちゃったよーって方はぜひそちらも要チェックしてください!


さて今回は2017年に行われた「Q」ツアーについて、
その中から、第三幕に行われた「Tales of Queen」についてお話します。

和太鼓やひいては音楽においてとても面白いと思う側面があります。
それは、「お客様の視線を操れるか否か」

和太鼓とは「舞台上でいかに自分のパフォーマンスを発揮し目立てるか」、
というのが一つの正義としてある一方で、
ソロやメインパートを引き立てる「ベース」や「地打ち」の存在があります。

この二面性、とても面白く、この二面性のおかげで和太鼓というものは
幅広い多くの存在を受け入れる器を持つのです。

和太鼓彩においても僕や齋さんのようにメインを堂々と張る存在もいれば、
一切照明に当たらずとも、その真価を発揮する葛西さんのような存在もいます。

初めに結論を持ってきます。
「和太鼓とは“ここ”が素晴らしい。」

 

目立つことが正義、ベースはつまらない、などそんな争いを超えて、
和太鼓独特の音色や音量の幅が、舞台に深みと彩りを加えるのです。

そしてこの「Q」で僕が挑戦したのは、
第三幕にお届けした、「Tales of The Queen」の黒子役でした。

一見、黒子と聞くと「日陰もの」なんていうネガティブな印象を抱かれがちです。
しかし、そんな日陰ものにも大きく分けて3つの面白さがあります。
今の僕に、どのようにして活きているのかと合わせて一緒に見ていきましょう。

  • ①「表現」としての黒子

先ほども言った通り、和太鼓の音色の幅はとても奥深く、
情景や風景を表すのにも用いられることが多いです。

そう、黒子は「多種多様な太鼓の音色の幅を引き出す」ことでその真価を発揮します。

もちろんメインパートでもこれができないわけではありません。
ですが、ベースパートはこれがより顕著です。
「Tales of The Queen」の1楽章、「女王の安息」では冒頭一打、僕のセットから始まります。

【Tales of the Queen 第1章 女王の安息(メヌエット)】オリジナルムービー(和太鼓グループ彩 -sai-) [Japanese Drum Group “SAI” ]

この曲、基本リズムが「メヌエット」となっており、
似た3拍子の曲に「ワルツ」があります。

この2つ、何が違うのかというと、「強拍」の位置です。
メヌエットは頭拍に、ワルツは裏拍に来るとされています。

このことを意識しつつ、多少の揺らぎを持たせて奏でるベースは、
なんとも言えない穏やかさと、この女王国の豊かさを物語るようです。

そしてこの経験をふんだんに生かした公演がありました。
そう、記憶にも新しい「万葉のゆめ」です。

この時のメインは「歌」と「語り」。
役者さんの息遣いに合わせながら叩く太鼓は緊張感と楽しさがありました。

風の音や、鼓動の高鳴り、雨音や雷鳴。
「Q」とは比べものにならないくらい多くの音色に挑戦いたしました。

  • ②「音楽」としての黒子

【Tales of the Queen 第2章 女王の聖戦(マーチ)】オリジナルムービー(和太鼓グループ彩 -sai-) [Japanese Drum Group “SAI” ]

この曲を見てわかるように、基本ずっと叩いてます。
曲の要、心臓となるベースパート。いわば「地打ち」というやつです。
今僕が取り組んでいるような、「ビート」の側面から楽曲を下支えする存在となっています。

この曲もまた「マーチ」と「ロール」を組み合わせ、
疾走感と激しさをより顕著に表現しました。
このロール、音楽的にも技術的にもやや難しく、
当時の中堅メンバーではおそらく僕ぐらいしか叩けなかったのではないかと思います。

ええ、自慢です。笑

そして言わずもがな、「音楽」としての側面は今でも日々追求していること。
ドラム技術をふんだんに取り入れながら、楽曲のテーマやグルーヴを意識して奏でております。
「婲阿吽駆」なんかがいい例ですね。
楽曲の熱量をコントロールすると言いますか、温度感なんかもベース一つで如何様にもお届けできるものだと思います。

  • ③「舞台」としての黒子

そしてこの3つ目が僕に大きな価値観を与えました。

先ほどにも述べた通り、和太鼓奏者は目立ってなんぼです。
しかし、そんな演者に対して「目立つな」という指示を与えるということは一体どういうことでしょうか。

それはすなわち、目立たせる存在が「演者」ではなく「舞台」全体にあるということです。

今まではいわば個のぶつかり合い。一対一です。

しかし、今回推し出したいのは「物語」でありそれを表現する「舞台」です。
そのために、「お客様の視線を操る」必要があったのです。

黒子には照明は当たりません。
そして影に意思はいらないので、表情も無です。
いかに目立たないか。そこには「今何を見せたいか」という答えがあります。

【Tales of the Queen 第3章 女王の遺志(レクイエム)】オリジナルムービー(和太鼓グループ彩 -sai-) [Japanese Drum Group “SAI” ]

齋さんから以前こんな話を聞きました。
「他の楽器とコラボするときに、和太鼓は地打ちを引いても目立ちすぎる。」
「そして和太鼓は他人のソロで悪目立ちするバッキングをする。」
と。

いわば、引くときに引く。
それが大事なことだと言うのです。

そんなことに気付かされた2017年の冬。

動画をご覧いただいてわかるように、もう影です。笑


さてそんなこんなで、新たな挑戦をすることで、
自分の和太鼓の価値観が大きく変化いたしました。

この経験がなんとなくでも今に生きているんだなと、知ってもらえたら幸いです。
ご静聴ありがとうございました☺️

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