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「もしも「鳥籠」で叫べなかったら- What if _」〜和太鼓×解放・謳歌・希死念慮〜 by渡辺隆寛

日時:令和4年1月28日
執筆者:渡辺隆寛
タイトル:「もしも「鳥籠」で叫べなかったら- What if _」〜和太鼓×解放・謳歌・希死念慮〜

【第1部】

舞台上にぽつんと佇む主人公がいた。
その主人公は体育座りで塞ぎ込んでいる。

名前。
そんなのは問題ではない。
彼は「鳥」であり、「僕」であり、「あなた」なのだ。

彼は…そう、泣いている。
静かに、ひっそりと泣いている。

この暗闇には彼の泣き声だけが響いている。

ただ、誰が答えてくれるわけでもない。

そんなもんだろう。
他人の痛みなんてわかりゃしない。

きっと隣人が「死にたい」と呟いても、自分事にしたくなんてないのだ。
我関せずいれば、自分のせいにはならない。

「…果たしてそうだろうか?」

彼の泣き声は、響き続ける。
しゃくり泣き、すすり泣き、慟哭が喉を引き裂く。

ただいつもと違うのは、その声に力がない。
弱さと、細さが音に表れている。

何か様子がおかしい。


【第二部】

「飛びたい」「出たい」
その思いが膨れ上がる。

「なんであいつばっかり」「僕だって空を…」
もがけばもがくほど、自分の世界が暗く、薄汚れていくのがわかる。

「叫んで…叫んで…、ここから出よう。」
「この翼は、なんのためについているんだ。」
「空を…自由に…!!」

いざ立ち上がり、意を決して叫ぼうとしたその瞬間!
周りの様々なノイズが彼を纏った。

―『お前には無理だよ』
―『叫んでも聞こえやしない』
―『籠の中がちょうどいいよ』

「ここから出して」が空虚に帰る。

…嗚呼、「叫べなかった」。

【第三部】

「叫べなかった」
…いや「叫ばなかった」のかもしれない。
どちらも紙一重だ。

「叫ぶこと」を、「葛藤すること」を“諦め”たら少し楽になった気がした。
期待するから辛いんだ。
自分の世界がここだと決めてしまえば、苦しむこともない。

これはある種の英断だ。「解放」だ。

そう思うと、なぜだかうっすらと笑みが溢れた。

空は青い、だがその翼が鳴ることはない。
否、飛ぶ必要がないから、鳴らす必要もないのだ。

そう思った瞬間。
空の青さを慈しみ、自分の人生を愛おしむ、そんな余裕さえ生まれた。

その鐘が鳴ることはもうないが、そういう人生だったのだろう。

「ありがとう…」
その翼に別れを告げ、いざ旅立とうとしたその刹那―!

何かが僕を静止した。

『逝くなよ』

それが誰かなんてどうでもいい。
人か鳥か、その解釈は任せる。

ただ、一つ言えるとしたら…

「今更そんな上っ面の言葉で、僕を止められるものか!!!」

【第四部】

「お前は親友か?友人か?家族か?なんだっていい。
人が籠の中で一人泣いている時にろくに声もかけてこなかったくせに、
いざ「死にたい」と宣った時にパフォーマンスのように現れるロクでもない隣人だ。

見てみぬふりをすれば、自分に責任の一端が生じる。
偽善にも届かない偽善もどきの声かけには飽き飽きだ!

飛ぶことの出来ない存在は、
「この与えられた現状で「満足」する」か、
「自分の世界を創り出し「空想上で謳歌」する」他ない!

強制するな…強要するな…
阻むな、拒むな、障るな…!!

この空は果てしなく自由で、
この翼は限りなく僕のものだ!!!!」

その想いが、もう一度鐘を鳴らす。

◆◆◆

嗚呼!
楽しい、楽しいよ!
誰にも邪魔されない僕だけの世界!

引きこもり上等。
今は籠の中からでも、こんなにも広い世界が待っている。

インターネット?マンガ?ゲーム?
人はそれを根暗というか?オタクというか?

違う。
僕自身が自由に舞うことのできる空と翼を得たんだ!

誰にも邪魔することはできない。
誰かと同じじゃつまらない、自分だけの世界。

空想を舞えば舞うほど、戻れぬ高揚感に包まれ、
もはや現実と空想の境目すら見つからなくなってしまう。

何かのおかしさに周りが気づく。
止まらぬ鼓動、沸き立つ汗。

『あれ?もしかしてこいつ本気なのかもしれない。』
彼が本気で自由を手にしたがっていることに気づく。

「どれだけこの空想が楽しくても、楽しくなればなるほど現実の青に届かない。」
そのもどかしさに震え、現実への未練が一抹に残る。

『待って、逝くな!今度はちゃんと向き合うから!』

「ねえ、もう遅いよ…」

そして彼は、

本当の意味で「鳥籠」から解放されたのだ。


◆おわりに

ことの始まりは「鳥籠」が世間や時代にそぐわないと感じ始めてからである。
そもそも4月のめざ音。に足を運ぶ方達は、この鬱屈した現状に、
何か変化を少なからず求めていたが、今やそうでなくなってしまった。

時が経つにつれて「鳥籠」の行き場を失っていったのだ。

そうなっては向かうベクトルは至ってシンプルである。
「もっと明るい「鳥籠」を作ろう。」

笑顔で舞う「鳥籠」を作ろうと思ったのだ。

しかし、ただ楽しいだけでは味気ない。

ネガティブにポジティブを見出し、
ポジティブにネガティブを隠す、それが渡辺隆寛。

笑顔で舞う「鳥籠」に儚さと美しさを見出そうとした。

そこで出来上がったのが「真・鳥籠」だ。

本作の主人公は前作の「鳥籠」同様であるが、
今回は「叫べなかった世界線」のもと、お届けしている。

声を呑んだ主人公は現実逃避をして、自分の人生を謳歌することにした。
何も謳歌するのは現実に限らない。空想上もまた「この世」だ。

そして今回向き合いたいのが「希死念慮」への問題である。

そこには絶対的な肯定も、絶対的な否定もなく、
本作においては、
自由を求めて死を選んだ者と、その危機を助けられなかった者しかいない。

ある一面で捉えれば、この話は「イカロス」にも通じるだろう。

このストーリーにおいて、第三者のわたしたちができることは、
「エンタメとしてこの物語を純粋に楽しむこと」か、
「自己を振り返り、内省すること」のみである。

他人の死は評価されるべきものではない。
生の形は様々である。

そして「この世を謳歌する音。」もまた様々なのだ。

人生とは目まぐるしく進んでいく。

一瞬一瞬を大事に生きてほしい。

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