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和太鼓彩全国ツアー「衝動Ⅱ」を終えて〜和太鼓を社会的意義のあるものへ〜 by葛西啓之

日時:令和4年4月7日
執筆者:葛西啓之
タイトル:和太鼓彩全国ツアー「衝動Ⅱ」を終えて〜和太鼓を社会的意義のあるものへ〜

みなさまこんにちは。
葛西です。

前回のレポートにて、結成10周年を記念した初の全国ツアーへと走り出した和太鼓彩の面々。
北千住にはじまり、
埼玉→亀有→岩手→青森→奈良→兵庫→立川→鶴見、と、全国各地を回らせていただきました。

初の全国ツアー。
その思い出は、もはや言葉では言い尽くせないほどたくさんあります。
自分たちの演奏を関東近郊以外の方にも見ていただき、そして、たくさんの拍手をいただけた嬉しさ。
初めての大掛かりな舞台セットを2トントラックに積んで、青森まで運転した楽しさ。
岩手の居酒屋で自分たちのCMが流れているのを見たときの喜び。
兵庫公演のPR演奏のため、明石の海岸で演奏させていただいた時の爽快感。
そして、全国ツアーという大きな舞台で思うような演奏ができなかったことの悔しさ。

「作品をつくる」ということ、いや、もっとそれ以前の、「太鼓を通じてお客様に感動をお届けする」ということの楽しさと難しさを教えてくれた全国ツアーでした。
改めてまして、全国ツアーをご支援くださいました足立区様、あだちエンターテイメントチャレンジャー支援事業様、そして各会場に足を運んでくださいました全ての皆様に、心より感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。

2015年9月11日 青森公演後の集合写真。謎の仲良しポーズ笑笑

 

2015年10月10日 奈良公演後の集合写真

 

2015年10月12日 兵庫公演前の集合写真

 

2015年11月27日 千秋楽神奈川公演の集合写真

 

さて、話すとキリがないですが、中でも思い出に残っている全国ツアーのエピソードを一つ、ご紹介させてください。
この体験が、後の私の和太鼓に対する考えを大きく変えることとなります。

時は2015年9月。
青森県は三沢市、三沢市公会堂にて「衝動Ⅱ 青森公演」を行わせていただいておりました。
青森県は私の生まれ故郷ということもあり、まだ見ぬ青森県のお客様に和太鼓彩の演奏を届けるんだ!と、ことさら気合が入っていたことを覚えております。

演奏自体は大きな事故もなく無事に終了し、ロビーにてお客様一人ひとりとご挨拶をさせていただいておりました。
おかげさまでお客様にも大変楽しんでいただけたようで、ロビーではお客様が興奮冷めやらぬ様子で「良かったよ!」「また来てね!」などなど、とても励みになる言葉をかけてくださったんですね。
それはそれはとても嬉しかったのですが、お客様と握手をさせていただきながら、私は一抹の悔しさも感じたのでした。

あれ、夢の全国ツアー、それも生まれ故郷の青森県での公演が成功して、こんなにもたくさんの方に喜んでいただけたのに、なぜ自分は悔しがっているんだろう・・・?
そんな複雑な感情に襲われながら、撤収作業へ。
片付けも進み、舞台セットも崩されて、いっときは「夢の舞台」へと様変わりしていた舞台はすぐさま日常の平場へと戻っていきました。

片付けも終わり、あとは東京へ帰るだけ。
東京へ戻ったら、この夢の時間は終わり。

そんな夢の時間を噛みしめるように、「この悔しさの正体はなんだろう?」と、自分の心に問いかけながら、私は2トン車を東京に向けて走らせていました。

運転している内に感じたことは、この悔しさの所以は、「今日出会った三沢の方々とはもしかしたらもう一生会えないかもしれない」ということだろう、と、そう感じました。
もっと端的に、かつ欲張りなことを言うと、今日の出会いは三沢の方々の人生の1ページに刻んでいただけたかもしれないけれど、三沢の方々の人生を変えるほどの、一生記憶に残るほどの素晴らしき出会いにできていただろうか?

と、そんなことを思ったわけです。

いや、もちろん私たちの演奏を一生覚えてくださっている方もいるかもしれませんし、私たち自身、自分の頑張り次第では毎年三沢をはじめとした各地方へ行くことも可能なのですが、
せっかくお会いできたのだから、年に1回の舞台の場だけではなく、もっとこう、恒常的にコミュニケーションを取れるような・・・お互いがお互いにとって大切な存在になり得るような、そういう仕組みを作れないものだろうか。
そんな風に考え始めたのでした。

その時、高校時代に和太鼓部の仲間と帰り道に話していた雑談を思い出します。

「授業が全部太鼓になったらいいのにね〜」と。

太鼓こんなに楽しいんだし、日本人は絶対やるべきなんだから、部活の2時間だけじゃなくていっそのこと授業を全部太鼓にしちゃえばよくね?
1時間目:基礎練、2時間目:曲練・・・みたいな。
で、部活を「数学部」「英語部」とかにすればいいんじゃね?
と。

今でこそバカみたいな高校生の戯言ですが、幸か不幸か、私は本気でそんな世界線を作りたいと思ってしまったんですね。
つまり、「和太鼓を日本人にとっての“当たり前”にしたい」、と。

太鼓が日本人にとっての当たり前、「日常的なもの」になれば、もっともっと色んな人と繋がれるし、もっと頻繁にコミュニケーションが取れる、と、そんなことを漠然と考え始めたのでした。

一度考え始めると止まれない私は、青森からの帰り道中、運転しながらずっとそのことを考えていました。(恐らく12時間くらい?笑)

そして、東京に帰りつく頃には一つの結論に至っておりました。

「和太鼓を社会的意義のあるものへ」

和太鼓は本来、もっともっと日本人の生活に密接に関わってきたもの。
特別なものでもなんでもなくて、本来日本人にとって「ごく自然に、当たり前に”そこ”にある」もの。
時間の流れの中で今でこそ「非日常的なもの」になってしまったけれど、もう一度、そんな世界を作ってみたい。
日本中ありとあらゆるところで、当たり前に和太鼓がある世界を作ってみたい!
と、そんな気持ちを強くしておりました。

そしてそのためには、「伝統」という言葉におんぶに抱っこしてもらってはいけません。
たとえ伝統であろうと、今生きる人々にとって価値がなければ廃れていくのが自然の摂理だからです。

和太鼓が「当たり前」のものになるためには、いかに和太鼓が「今生きる人=
現代社会にとって、価値のあるものになるか?」、そこを証明しなければならない。
つまり、和太鼓が”社会的に意義のあるもの”にならなければならないーと。

そしてこれはある種芸術・エンターテイメント活動とは似て非なるものかもしれません。
芸術・エンターテイメントは「非日常性を体現するもの」であるからです。

そんな、ある種逆説的な要素を孕む中、私は、
「アーティスト団体である和太鼓彩の代表兼プレイヤーとして」の活動と、「和太鼓の社会的価値をあげていく社会活動家(?)」という二面性をもってこの先の人生を歩んでいくことを決めたのでした。

ここまで、三沢での公演を終えてから約12時間。笑
しかしこの時の思いは、間違いなくその後の私の人生、太鼓との向き合い方を変えたものとなっていきました。

さて、本日はここまで。
2015年に出会えた全国各地の皆様と、またどこかで再開できることを祈って。
それでは!

(おまけ)
青森公演終え、亀有に帰って来て積み降ろしを終えた2トントラックの中にて。笑

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