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「ハレのちユキ」(下)-新たな和太鼓公演の形- by塩見岳大

日時:令和4年6月28日
執筆者:塩見岳大
タイトル:「ハレのちユキ」(下)-新たな和太鼓公演の形

この記事をお読みいただく前に下記の記事を先にお読みいただけると幸いでございます。

・彩座発進!-新たな和太鼓公演の形-
・「ハレのちユキ」-新たな和太鼓公演の形-
・鼓劇を作る -新たな和太鼓公演の形-
・完成!「ハレのちユキ」(上)-新たな和太鼓公演の形-

長い旅路を経て、
いよいよサンタ帽を手に入れたバレンタイン卿(宇田)。
帽子をクリスマスボーイ(琉生加)に渡そうとした瞬間、
その帽子は勤労閣下(塩見)に奪われてしまう。

そして勤労閣下(塩見)は告げる。
彼こそが酔っ払ったクリスマスボーイ(琉生加)から帽子を盗み、
それを捨てた張本人である事を。

彼はその後、一同に同行し、
ありとあらゆる手段を使って一同の帽子捜索を妨害し、
時間を稼いで人間界にクリスマスがやって来ないように画策していたのだ。

勤労閣下は誰よりも勤勉な神だった。
勤労を尊ぶ神なのだ。

だからこそ、
人間が努力を重ねて作り上げた娯楽の数々が、
古くから伝わる祭りごとの楽しさを凌駕し始めた事を悟った。

インターネットサービスが充実して、
個人が家の中でありとあらゆる娯楽を満喫できる。
映画も、ゲームも、漫画も、バラエティも、
漫才も、芸術活動も、音楽活動も、
一人、家の中で行う事が出来る時代なのだ。

その中で神々が人間界の特定の日を「ハレの日」と定めて、
もはや不要となった人間同士の接触を促進している事が、
滑稽に見えてしまったのだ。
「ハレの日」に友人、恋人、家族達が集まって、
会話を交わし、
食事を共にし、
酒を飲み、
歌い、
踊り、
抱きしめ合う…
そんなものは前時代的であると勤労閣下は語った。

そして全てのハレの日を失くして、
万年平日の世界を望んだ彼は姿を変えて、
Mr.ウィークデイへと変身した。

その圧倒的な力の前で次々と薙ぎ倒されていく神達だが、
雄々しくも立ち向かう一人の神がいた。
それがクリスマスボーイ(琉生加)であった。

クリスマスボーイは語る。
ハレの日は望まぬ人を強制し、
縛り上げるようなものではないと。

ハレの日は大切な人と出会ったり、
仲間と時間を共にしたり、
普段は踏み出せない一歩を踏み出すための、
きっかけであれば良いと。

そして、そのきっかけによって、
世界に笑顔になる人が増えて、
幸せに思う人が増えるのであれば、
それがハレの日の存在意義だと語った。

この時にクリスマスボーイが立ち上がれたのは、
彼自身が言った事を強く信じていたからだ。

何故なら、
クリスマスというものがなかったら、
クリスマスボーイは最高に素敵な仲間達と共に、
こんな愉快な冒険をする事はなかったからだ。

素敵な仲間達の中にはもちろん、
Mr.ウィークデイへと変身した勤労閣下も含まれている。

道中大変な事もたくさんあったが、
ハロウィンというハレの日があったからこそ彼らは親交を深め、
クリスマスというハレの日があったからこそ彼らは共に旅をした。

ハレの日をきっかけに、
誰かの素敵な物語が始まるかもしれないのだから、
ハレの日を消させるわけにはいかなかった。

クリスマスボーイが胸の内を曝け出すと、
彼の想いに応えるように一同は立ち上がった。

そして神達とMr.ウィークデイによるラストバトルが始まった。

この「ラストバトル」は物語のクライマックス。
主人公とラスボスの信念と信念、想いと想いが、
剥き出しでぶつかり合うような演目が欲しかった。

ゲームでラストダンジョンの最奥で待ち構えるラスボスとのラストバトル。
アニメ最終話に、最終形態へと進化したラスボスとのラストバトル。

そんなオーダーに応えて、作曲してくれたのが東野だった。
激しく、熱く、燃えたぎるような一曲に仕上げてくれた。

そしてメンバーはこの一曲に残った体力をふり搾り、
想いの丈をぶちまけてくれた。

全てを吐き出すような一曲。

だからこそ、
決戦の後にクリスマスボーイと勤労閣下が再び手を取り合うような展開に、
整合性をもたらす事ができたように感じる。

Mr.ウィークデイから戻った勤労閣下は、
友を裏切り、騙してしまった事に対する赦しを願った。

その願いが叶わないはずはなかった。
何故ならその日はクリスマスなのだから。

そして最後に大団円の演目、
渡辺が作曲したクリスマスソング「ハレのちユキ」を皆で演奏した。

ここでも渡辺は無茶な要求を聞き入れてくれた。

物語の最後に超絶ハッピーなクリスマスソングを演奏したいと渡辺にぶん投げたところ、
巧みに音源も使用して、最高にハッピーな演目を仕上げてくれた。

因みに劇中で各所に散りばめられている音源も渡辺が作ったものだ。

どんなお題にも応えてくれるものだから、
すっかり甘えて作曲、音源制作を頼みまくってしまったのだ。

しかし渡辺の多彩な音楽制作なくして、
この舞台は成立し得なかったのは間違いない。

僕達は最後には皆で手を取り合いながら、
幸せに満ちたクリスマスソングを奏でて、
舞台は幕を閉じた。

…以上が、「ハレのちユキ」の内容でございました。

今思い返しても、
この演目はメンバー皆が全身全霊をもって本気で望んでくれたからこそ、
奇跡的に実現できた舞台だと思っています。

何せ、当初は舞台の輪郭がボヤボヤにボヤけており、
メンバーが完成像を描けない状態だったと思います。

僕が文字に起こした物語を皆にぶつけ、
そして難度の高いオーダーを連発する。

誰か一人でも
「いや…それは無理じゃないですか…?」
と言っていたら完成しませんでした。
ガラスの上で積み木を重ねていくようなものでしたね…

この舞台を一緒に作ってくれたメンバーには本当に感謝です。

そしてこの舞台を作っていく上で一番ビックリしたのは、
入団一年目の琉生加の成長でした。

正直…
琉生加は当初、本当に演技が上手くありませんでした 笑

他のメンバーも演技の指導を受けていたわけではありませんが、
ある程度の舞台の慣れと、踏んできた場数による多少のアドバンテージがありました。

しかし入団したばかりの琉生加にはそのようなアドバンテージがあるはずもなく、
小さな声で、台詞を読み上げるだけでした。

そもそも和太鼓チームに入って演技を求められるのが可笑しな話ではあるのですが 笑

ただでさえ覚える演目が多い中、
台詞の暗記までのしかかってきて、
物語の主役という重責まで背負わしてしまった…
あれ…これヤバイかな…と不安がよぎったものの、
琉生加はそれを痛快に弾き飛ばしてくれました。

真摯に、誠実に、時間をかけて、
抱えた課題を一つ一つ解決していき、
日を跨ぐ度に確かな成長を繰り返す琉生加の姿を見て、
メンバーは奮いあがりました。

気の弱そうだった少年の一挙一動がどんどんと大きくなっていき、
その声には想いと重みがのっていきました。

何度困難にぶち当たっても、
悲観する事なく、
明るく、前向きに事態に取り組むところも琉生加の良いところです。

琉生加の存在によって練習中のメンバーの空気が加熱していくのを感じました。

そんな琉生加の姿が僕の描くクリスマスボーイのイメージ像と重なっていき、
気がつけば琉生加こそがクリスマスボーイのイメージ像となっていました。

これは琉生加だけではなくメンバー全員に言える事です。

僕が思い描いていたイメージ像と徐々にリンクしていき、
そして気がつけばそのメンバーこそがそのキャラクター像となっていく。

皆各々、本当に自分のキャラクターについて考え、
追求を続けてくれたのでしょう。

かく言う僕自身もどっぷりと勤労閣下になりきってしまったせいで、
舞台を終えて、皆との旅を終える事に切なさを感じてしまいました。

しかし、この物語を演じたからには停滞しているわけにはいきませんね。

万年平日の世界ではなく、
変化に富む毎日があるからこそ、
僕達はどこかできっかけを拾う事ができて、
そのきっかけを踏み台にして、
一歩ずつ前進していけるのだと信じております。

願わくば、
僕達が演じたこの舞台が、
誰かの一歩を踏み出すためのきっかけになる事を祈っております。

改めて、彩座の舞台「ハレのちユキ」へとお越しくださった皆様、
ありがとうございました!!!

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