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和太鼓で紡ぐ源氏物語1 by葛西啓之

日時:令和2年2月22日
執筆者:葛西啓之
タイトル:和太鼓で紡ぐ源氏物語1

みなさまこんにちは。葛西です。

さて、2012年「松本城太鼓まつり」を振り返っている途中ではありますが、
(前回のレポート参照 http://wadaiko-sai.com/archives/history/200129
今回は趣向を変えて、直近のライブを振り返りたいと思います。

何を振り返るかと申しますと・・・
そう、つい先日行われたばかり、

葛 西 啓 之 生 誕 祭 

です!!!

2020年2月8日ということで、めっちゃ最近行った公演ではありますが、
本公演ではわたくし葛西、「和太鼓で紡ぐ源氏物語」という作品をお送り致しまして、忘れないうちに、ぜひこの作品の解説を皆様にお届けしたいな、思った次第でございます。

公演に来てくださった方も、いらっしゃれなかった方も、どうぞお付き合いくださいー!


さて、「和太鼓で紡ぐ源氏物語」ということですが、まずは、
「そもそもなぜ、ソロライブで源氏物語をやろうと思ったか」という所からご説明させていただきたいと思います。

2013年にプロとして飛び出し、「プロ和太鼓奏者」になって7年。
和太鼓彩でのツアーはもちろん、他団体のプロ奏者の方や邦楽器奏者の方、はたまた全く違うジャンルのアーティストさんなど、様々な方と現場をご一緒させていただきました。

その中で、最近ようやく、「こうなりたい!」という自身の理想とするプレイヤー像が明確になってきました。

なにか?

音が自然と流れていくような、そして、聴いてくださる方の心の奥底にすーっと音が染み込んでいくような、そんな太鼓打ちになりたい。

そう、思っているのであります。

背景としては色々あります。

こういう言い方をしてしまうとあれですが、和太鼓彩の舞台は、いわゆる「花形」と「ベース」に大別されます。

「花形」とは、基本的には大きく・派手な振り付けで、曲のメインフレーズを演奏する役割。
バンドでいうボーカルにあたりますでしょうか。

「ベース」とは、曲の底流に流れるベースリズムを刻み、曲の土台を作る役割。
バンドでいうベースやドラムですかね。

高校時代や和太鼓彩結成当初でこそ、いわゆる「花形」ポジションもやっていたものの、歳を重ねるにつれ、また、メンバーが増えていくにつれ(体力的な問題もあり笑)、数年前からはほとんど「ベース」ポジションを担っているわけですが、これがまた、楽しいこと楽しいこと。

曲の土台を作るという難しさ・責任はもちろんありますが、裏を返して言えば、曲のテンポやグルーヴ感、雰囲気を自分で作っていけるということ。
そして、自分が築いた土台の上で、若者たちが躍動する。

人を手の上で転がすのが、 自分の作った土台の上で後輩たちが楽しく演奏するのを見るのが大好きな(笑)私にとって、この「ベース」というポジションは最高の居場所なのです。

そしてこの「ベース」と向き合い続けて数年。
私はあることに気づきます。

太鼓の魅力って、迫力や音量、派手なふりつけやダイナミックさ、だけではないのではないか?
むしろ、小さくても延々と響きわたる伝統の音色、物理的な距離はもちろん、時空すら超えて、過去にも未来にも響き渡り、繋がれるような重みある音・・・そこに和太鼓の最大の魅力があるのでは?

当たり前っちゃ当たり前ですが、改めて、そんなことを身に染みて感じたのであります。

高校時代に和太鼓と出会ってから、基本的には「創作太鼓」として、迫力や音量、音圧を生かしたパフォーマンスを追求してきましたが、太鼓生活約15年にして改めて振り返った時に、和太鼓の新しい魅力を感じたわたくし。

そして、こう思ったのです。

和太鼓が過去から現代へ、そして未来へと続いていくように、
流れるようになめらかに、時を紡いでいくような演奏がしたい!
そういう太鼓打ちになりたい!

と。

さて、そんなことを頭の片隅で思いながら、2年前、「本当の和太鼓」との戦いが始まりました。

なぜ僕は(人は)、こうも和太鼓の響きに魅了されるのか?
本当の和太鼓とはなんなのか?
これまでどんな風に使われてきたのか?
いつからあるのか?
静の表現とはなんなのか?
「間」とはなんなのか?
そして、日本が世界に誇る「和」の正体とは、一体なんなのか?

その全てを解明したい衝動にかられ、様々な和に関する本を読み漁り始めました。

様々な本を読む中で出会ったキーワードの一つが、「闇」。

日本とは、「闇」の文化である、と。

谷崎潤一郎先生著「陰翳礼讃」が一番分かりやすいですが、その他様々な方が、日本文化の「闇」に着目して書かれていました。

ほほう、「闇」の文化か・・・

と、いまいち実感が湧かないまま、ふと手に取り、読み始めた「源氏物語」。
(正確には、田辺聖子さん著「新源氏物語」ですが)

そこで私は、衝撃を受けます。

なるほど、これは確かに「闇」だ、と。

当たり前ですが、電燈のない世界。
あるのは、月の明かりのみ。
ただでさえ暗いのに、その上さらに、御簾の奥でひた隠しにされる女性。
見えないからこそ大いなる理想を抱き、想像を膨らませる男達。
そこで交わされる美しい和歌のやりとり。
和歌の紙にさえたきしめられる香。
衣の残り香。
衣擦れの音。
そして、暗闇の中で奏でられる箏の音、太鼓の音。

この時代の文化、人間のあり方が良いか悪いかは別として、
確かに日本の文化は、こういった「闇」の中で育まれてきたのであります。
そして「闇」の中だからこそ、視覚以外の情報への感じ方、繊細さ、表現が尋常じゃない程多い。
頼りになるのは、匂いと音と触感。

視覚以外の感覚を研ぎ澄まして(否、研ぎ澄まさざるを得ずして)作られてきた奥ゆかしさ、まわりくどさこそが「和」なのだ・・

そんなことを強く感じ、「この世界観を表現したい!」と半ば衝動的に感じました。

さて、ここからが本題。
私自身のテーマである「和の追求」はもちろんのこと、「過去から未来への時の流れ」という意味でも、今の私にとってドンピシャと思われる「源氏物語」。

しかし、問題は山積みです。

果たしてこの世界観を、一人で表現できるのか?
しかも、私の武器といえば太鼓(時々チャッパ)のみ。
篠笛や箏といった旋律楽器を使わずして、可能なのか?

などなど。

10年前であれば衝動の赴くままにそのまま突っ走ったわけですが、
もう33歳の大人?なわたくし。
「源氏物語をソロライブのテーマにしよう」と思い立ってから決断するまで、それなりの月日を要しました。

しかし最後の決め手は、「むしろこれは、団体ではできない」と思ったこと。

人が多くなるとどうしても物事が動的になり、派手になっていきますから、
闇や静を表現しようと思ったら、より人数が少ない方が良いわけです。
むしろ、ソロライブが最適なのでは?

何より、今の和太鼓彩にない(と思われる)この感覚を私が身につけたら、団体としての和太鼓彩にとっても大きな力になるのでは?
お客様にも、新しいもの(表現)をお届けすることができるのでは?

そんな風に考え、最終的には和太鼓彩・伝家の宝刀「悩んだら、まずはやってから考えよう。笑」(http://wadaiko-sai.com/archives/history/190623 参照)のもと、「和太鼓で紡ぐ源氏物語」の制作に取り掛かったのでありました。

そんなわけで、いよいよ「源氏物語」の表現にチャレンジする33歳の葛西青年(おじさん?笑)。

次回はいよいよ、その知られざる内容に迫ってみたいと思います!

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