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初事務所誕生&共同生活スタート! by齋英俊

日時:平成30年10月26日
執筆者:齋英俊
タイトル:初事務所誕生&共同生活スタート!

こんにちは、齋英俊です!
和太鼓の歴史を振り返る、ヒストリーレポート。
今回は、私たちの歴史の1ページとして欠かすことのできない!
初事務所&共同生活に関して書きたいと思います。

時は2012年にさかのぼります。
当時、和太鼓メンバーは悩んでいました。
葛西代表をはじめとして、年長者メンバーは大学を卒業し社会人に、私も当時大学院生、勉学も忙しくなってきました。

基本的に活動は皆が休みである土日のみ。

それだけでは・・・・、時間が足りない!!!
もっともっと和太鼓の活動を加速するにはどうすればいいのか・・・。
悩んでおりました。

そんな時出たアイディアが・・・すばり・・・・、

共同生活!!!!

皆で一緒に住めば、平日も、休日も、太鼓の話できんじゃん!
天才的なアイディアですね、はい。
そんな話をとある土日の練習後、していました。


(そして翌週・・・

私、夏休みを利用して、同期の執行正樹くんと車の免許を取りに、新潟県へ免許合宿へと向かいます。

当時の自動車学校のブログ(笑)

当時の自動車学校のブログですね。当時は、イケメン だったんでしょう、きっと。
つっこみはなしでいきましょう(笑)

さて、その自動車学校の合宿中、葛西代表より電話が・・・

葛西「あ、もしもし??この前言ってた共同生活の件だけど、善は急げで、今日あたり決めちゃおう!」
齋「え、俺免許合宿中で新潟ですよ!??」
葛西「大丈夫、齋の部屋付きの物件見つけておいたから!」

和太鼓殿下の宝刀 とりあえずやってから考える がさく裂します。
(葛西代表第1回historyレポート参照:https://wadaiko-sai.com/archives/history/180904)

というわけで、私が新潟にいる間に、私の新しい家は決まりました。

選んだ地は、亀有。
大学のサークルだった当時、大学学園祭以外でも演奏しようと掲げ、初めて大成功を収めた想い出の地です。
亀有駅前での演奏を重ね、応援してくださる方も増え、この地で頑張ってみよう、そう誓いこの地を選びました。

こうしてめでたく、和太鼓の初事務所兼共同生活場が誕生したわけです。

引っ越し当日の写真

事務所らしく、リビングでは、和太鼓の活動方針を決める、さまざまな会議が行われました。

DVD等の発送も、当時この事務所で行われていました。

倉庫も兼ねていたため、周りには太鼓がだんだんと増えていきました。
積み重なった太鼓が崩れ、ぺしゃんこになりかけたこともありました。(笑)

BEFORE葛西部屋(引っ越し当日)

AFTER葛西部屋(この写真の奥に葛西代表がいます)

時には、メンバーのお誕生日会をしました。

時には、鏡の前でかっこつけて写真を撮ってみたりもしました。

時には、まだ大学生だった塩見くんの留年回避のため、みんなでお勉強の手伝いをしたこともありました。笑

できない自炊にも挑戦しました。

『塩見くん特製の焼きおにぎり』

『ワイルドサラダ』(基本野菜はそのまんま。馬か!笑)

ところどころ、メンバーがダウンを着ている写真がありますね。
実は、この家には エアコンなどの冷暖房器具がなかった のです。

共同生活を始めたもうひとつ重要な理由、それは、「節約」でした。

目標のプロ活動に向け、楽器をはじめ、足りないものばかり。
節約して買いそろえようということで、とことん節制していたのです。

実に不思議なもので、共同生活していた家、冬は外より寒くなることもあるんです。
屋内なのに息が白いんです。
ええ、平成の日本の話です。笑

冬はまだ良いです、着ればいいから。笑
ほら、目を閉じて夏を想像してみてください。
エアコンのないむさ苦しい男たちの住処ですよ。
ほら、 ☆ミ 地獄絵図 ミ☆ です。笑

特にリビングに住み着いていた塩見くんは大変。
リビングに窓はなく、最大の冷房器具は台所の換気扇でした。
彼曰く、この共同生活を経て、地球上のどんな環境下でも生きられる肉体を手に入れたと言っていました。

睡眠中の塩見くん(※閲覧注意)


一見外から見ると、大変そうな日々…
そんな風にも見えるかもしれませんが、当の本人たちは、すべてを楽しみながら、ただひたすらに夢に向かって突き進んでいました。

初事務所。
自分たちだけの秘密基地が出来たような喜びがあり、当時の僕らの気持ちはそれだけで、十二分に高まりました!

次のライブの話、将来の夢の話、時には次の月をどう食いつなぐかの話…笑
杯を交わしながら、時には夜が更けるまで、アツく…アツく…、和太鼓の未来を決めるさまざまな話をしました。

この共同生活は、和太鼓の歴史として欠かせないものです。
この共同生活が無ければ、間違いなく、今の和太鼓グループはないでしょう。

貧乏なんてもんじゃなかったかもしれませんが・・・(笑)、
個人的に、今振り返ってもこの共同生活の日々は、和太鼓史上トップクラスに楽しく、個人の歴史としても大切なものです。

今またしたいかと言われたら…
それは違うかもしれませんが笑笑

『あんなとこでLIVEできたらどんなに楽しいんだろう!』
『いつかこの番組、出演してみたいな!』
当時、きったない初事務所で酒を飲みながら交わした、夢物語。
今、お陰様で、僕らが当時描いた夢の世界で生きています。
思い出す絵面は汚いのですが(笑)、「共同生活の時、話したよね!」と、当時話をした想い出とともに歩みを進められるのも、とても良いものなんです。

それでは、今回はここまでにしましょう!
和太鼓のプロ化、飛び出した時に欠かすことのできないエピソード、「共同生活」と「初事務所」に関してレポートさせていただきました♬

次回もお楽しみに^^

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