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和太鼓彩プロ初ツアー〜COLORS〜 by葛西啓之

日時:令和3年3月25日
執筆者:葛西啓之
タイトル:和太鼓彩プロ初ツアー〜COLORS〜

みなさんこんにちは。
葛西です。

前回のレポート(https://wadaiko-sai.com/archives/history/210304)にて、晴れてプロとしての活動を開始し、「藤沢名店ビル2週間連続公演!」を終えた和太鼓彩。
藤沢名店ビル2週間連続公演では、2013年4月29日より始まるプロとして初のツアー「COLORS」に向けて、ひたすらにプロモーションをさせていただきました。

さて今回は、そんな思い出に残るプロ初のツアー「COLORS」の模様を振り返りたいと思います!

さかのぼること約半年前。
2012年10月頃。
3月に会社を退職することが決まり、プロ初のツアーをみんなで企画していました。

記念すべき初のツアーをどんな内容にするか?どんなタイトルにするか?
いよいよ本格的に「プロ」として活動をすることができることに期待と楽しみがあふれ、非常に楽しい話し合いが続きましたが、私には一つ、大きな懸念がありました。

仲間のことです。

当時、和太鼓彩には10名のメンバーが在籍していました。
全員が桐蔭学園高校和太鼓部の卒業生で、一番下が齋・塩見・執行・紺谷。
一番下の彼らとも3つしか歳が離れておらず、10名全員高校時からの顔見知り。高校の時から一緒に太鼓を叩き、青春を共に駆け抜けてきた大切な仲間です。

しかし、この時「プロ」を選んだのは5名。
他の5名は、就職したり、大学院へ進学したり。
他の活動をしながら和太鼓彩の活動を続ける、という決断をしました。

良くも悪くも、和太鼓彩の強みはメンバー同士の仲の良さ、絆。
高校時代から共に太鼓を叩きながら築き上げてきた仲間意識の元、私たちの演奏は成り立っていたのでした。

逆に言うと、当時の私たちには知識も技術も経験もなく・・・「太鼓が大好きな仲間たちとの絆」というのが、唯一の武器だったのかもしれません。

その中での今回の決断。

これまで青春のほとんどの時間を過ごし、お互いの家族を知り、半ば家族のように過ごしてきたメンバーが別々の道へと進むこととなり、チームの中には言い知れぬ不安が漂っていました。

・・・果たしてこの先、和太鼓彩はどうなっていくんだろう?
・・・今までのようにみんなで楽しく太鼓を叩くことはできるんだろうか?

と。

私にとっても、これは非常に酷な決断でした。

できることなら死ぬまで一生、この10人で太鼓を叩いていたい。
できることなら、この10人全員で一緒にプロの世界へ飛び出したい。

もちろん、そういった思いがなかったわけではありません。
しかしそれぞれにそれぞれの考え、事情があります。

太鼓以外の夢を持っているメンバーもいれば、今はプロの道を選ぶことができないと涙ながらに語ってくれたメンバーもいました。

そんなメンバーの心情を受け、私は、プロとして初のツアーを「この10人全員で出演する」と決めました。

そう、和太鼓彩プロ初のツアーは、「プロ」と「アマチュア」が入り混じった公演だったのです。
もちろんそこには、「プロを選んだ5名だけでは演奏が成り立たない」という実質的な問題もあったわけですが、今思い返してみれば、これはプロとしてあるまじき甘えだったのかもしれません。

しかし、みなさんご存知の通り、この時の選択に一切の後悔はありません。
この10人が揃っていなければ、今の和太鼓彩はなかった。
そう断言できます。

・・・とにもかくにも、この時から、私はプロとアマチュアが混在する、非常にアンバランスなチーム作りを行うこととなったのでした。

さて、そんな複雑な状況の中始まった企画会議。

私が選んだテーマは「個性と調和」でした。

個性。

上述の通り、これまでの和太鼓彩はメンバー全員で同じ時間を過ごし、仲良く楽しく過ごしてきました。
ステージ上でもその雰囲気は出ており、基本的には10人全員で演奏する「組太鼓」を基調としていました。

しかし、メンバーが別々の道に進む中で見えてきたものがあります。

それは、「個性」。

私や佐藤が社会人となり、紺谷は海外の大学院へ留学し・・・それぞれが別の世界を見てくる中で、これまで一緒にいる中では見えてこなかった一人一人の個性が見えてきました。
そんな彼らの個性を横目に見て、私は思います。

「別々の道に進んだことが、もしかしたら”強み”になるのではないだろうか?」

と。

別の道に進むことは決して悪いことだけではありません。
それぞれが違う世界を見て、そこで得たものを昇華し、チームに持ち帰る。
常に一緒の団体行動だけでは見えてこない光がそこにあったのです。

新しく見えてきた一人一人の個性を強みへと変え、舞台上で表現しようー

そう決意しました。

そしてもう一つのテーマ、「調和」。

「個性」を押し出すだけでは、チームとして演奏する意味がありません。
私たちは全員で一つのチームであり、全員で一つの「和太鼓彩」なのです。

これからどんなに違う道に進んでも、どんなに違う世界を見てきても、還ってくる場所はただ一つ。ここにあるんだー

そんな思いで、メンバーの新たな個性を「まとめあげる」ことをテーマとしました。
そして私には、これをまとめあげる自信がありました。

高校時代から毎日一緒に汗水流し、言葉よりも太鼓で心を通わせあい、ぶつけあってきた私たちは、どんなことがあろうと一つになれる。
それぞれが違う道に進んだからこそ、これまで以上に強い「調和」を表現できる。

そんな確信がありました。

<当時のノート>

こうして選んだ「個性と調和」というテーマ。
後日、まだ和太鼓彩に加入して間もない塩見くんの発案により、公演タイトルは「COLORS」に決定しました。

余談ですが、タイトル発案、そして初のチラシ・パンフレット制作と、塩見くんの才能が開花したのもこの頃ですね。
当時のことを塩見くんが振り返ってますので、ぜひこちらもご覧ください。
https://wadaiko-sai.com/archives/history/190312

こうして徐々に形が見え始めてきた「COLORS」。

次回はCOLORS公演の中心曲となった「天真★爛漫」の作曲秘話を振り返りたいと思います。

本日はここまで。
ばいばい〜。

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