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和太鼓彩永遠不滅のリーダー 葛西啓之 引退!! by齋英俊

日時:令和3年6月12日
執筆者:齋英俊
タイトル:和太鼓彩永遠不滅のリーダー 葛西啓之 引退!!

こんにちは、和太鼓彩の齋英俊です☼
さてさて、今までいろいろと書き連ねてきたヒストリー。

最近は、なかなか知ることのできない!?海外公演の舞台裏や、楽曲に関して振り返っていましたが、、、
そろそろ年長者メンバーとして、昔々のお話を振り返り始めましょうか。

和太鼓彩に起きた大きな歴史のいちページは、葛西さんが結成から時をおって振り返っています!
葛西さんのヒストリーとところどころ被るイベントもありますが、齋目線でも振り返っていこうと思います♩

合わせて読むととても面白いかと思うので、ぜひ!
一緒に読んでみてくださいね(*^-^*)

では、皆様。
和太鼓グループ彩、永遠不滅のリーダーこと葛西啓之が、1度だけ、
1年間和太鼓彩を去ったことがあるのはご存知ですか!??

時は2009年1月。
大学のサークルだった和太鼓グループ彩は、念願の初の単独公演を実施しました。
そう、この念願だった初単独公演。
夢の実現であると同時に、実は、葛西さんの学生最後の公演。
すなわち、大学の学生サークル“和太鼓グループ彩”においては、引退の公演でもあったんです。

その後社会人経験を経て、2010年に葛西さんは復帰することになるのですが、、、
そう!2009年は葛西さんが和太鼓彩にいなかった唯一の期間なのです!!

その空白の1年!??を振り返っていきたいと思います!


2009年1月10日。
北沢タウンホールにて、念願だった和太鼓彩初の単独公演が開催されました。

和太鼓彩初のオリジナル曲「奏」が完成するなど、彩の歴史で欠かすことのできない、とても大切な1ページ。

詳しくは、葛西さんのヒストリーをご覧ください!
(参考:【2009年ヒストリー】第一回単独公演本番by葛西啓之
https://wadaiko-sai.com/archives/history/190907

そんなわけで、この公演が私にとっては「引退公演」、
いや、「決別公演」でした。

そうです。
この公演は、葛西代表の引退公演でもあったのです!

この時代の和太鼓グループ彩は、大学のサークルです。
一般的な大学のサークル同様、社会人になるメンバーは去り、学生のメンバーが運営を行う。
和太鼓彩も当然、そのような形態だったのです。

そう、僕にとって第一回単独公演は、最年長メンバーたちと一緒に演奏する、最初で最後の単独公演だったんです。

1曲、1曲、演奏する曲がなくなっていく。

「先輩方と演奏するのも、今日が、、、最後なんだ・・・・!!」

初の単独公演を開催する喜びとともに、とても寂しい気持ちを合わせ持ったことを、覚えています。
悠久でないからこそ、その時その時のLIVEは、美しいのかもしれません。


(「奏」を初演する葛西(21歳)と齋(19歳))

まぁ、当時はまさか1年で復活するとは!
まさかプロの世界でこんな毎日一緒に太鼓やるなんて、夢にも思っていませんからね(笑)
まぁ、最終的に夢は叶ったんですが(ややこしいわ!)

さて、この度、齋姉より当時の写真が再発掘されたとのことで、ちょっとここでご紹介~☆祝

こちら、葛西さんの同期3人衆です!

不思議とどの曲もこの並び順(笑)
葛西さんの高校和太鼓部時代からの同期!
左から林さん、此田さん、そして、若かりし頃の葛西さんです!

なんだろ、そうやって見るからかな。
初単独公演への喜びとともに、ちょっと引退への寂しさが表情から見て取れますね~

続いてこちら、若かりし頃の齋青年。(照)

うん、必死そう(笑)

この時は大学一年生。
先輩方の足を引っ張らないように!
曲を覚えて、くらいついていくだけで、とにかく必死でした。

後ろの方にある大きな太鼓は、母校桐蔭学園和太鼓部“桐蔭太鼓”からお借りしたものです。

いち大学のサークルであるアマチュア団体。
それにも関わらず、第一回単独公演を無事に開催することができたのは、紛れもなく、周りの方々の大きな支えあってのことでした。

本当にありがとうございました。

この初の単独公演成功は、今の和太鼓彩の活動へとつながる、大きな大きな一歩目でした。

この公演を最後に、葛西啓之代表は引退。
4月からは、新社会人として、大人の一歩を歩み始めます。

僕は大学2年生に。
葛西さんの1個下の学年、山さんが代表を引継ぎ、
2009年、2期目?2代目?和太鼓グループ彩がスタートしたのでした。


葛西代表をはじめ、上のメンバーが抜けた和太鼓彩は、てんやわんやです。
中心メンバーの大学も、東京・埼玉・茨城と散らばっていましたし、演奏はもちろん、学園祭などに出演するための渉外業務、楽器の運搬・・・
わからないことだらけでありました。

実際抜けて初めて!?改めて!?先輩たちの大きさに気づかされます。

しかしながら、

「(悩んだ時は)とりあえずやってから考える」

(参考:【2005年ヒストリー】和太鼓彩結成秘話! by葛西啓之
https://wadaiko-sai.com/archives/history/180904)

今も和太鼓彩に受け継がれるDNAとともに、新体制での活動を、一歩一歩始めたのでした。

その時の僕らの大きな舞台は、東京大学学園祭 “五月祭” でした。
上のメンバーが引退してから、初の大舞台。
その五月祭に向け、準備を開始します。

第一回単独公演では、メンバーが9名。
そこから先輩方3名が抜けると・・・6名・・!??

ってそもそも演奏なりたたないーーー!!汗

今となっては、お陰様で1人でも演奏する、できるようになりましたが、当時の僕らにとっては大問題。
9人用に作った曲が6人になるだけで、まったく演奏できなくなってしまう。そしてメンバーごとにできるパートや楽器も限られている、そんな状態でした。

ということで、まだ学生を続けていた、葛西さん同期の此田先輩にお願いし、五月祭に出演してくれることに!!!

総勢全7名で、新体制での初の演奏「五月祭」に挑むことになりました。
新体制になっても想いはひとつ!
先輩たちみたいに、、、いや、、、それ以上に!!!良い演奏をするんだ!!!

大学に入学して1か月。
ただただ曲を覚えて、先輩たちについていくだけで必死だった1年目の五月祭。

先輩たちと単独公演を始めいろんな日々を乗り越え、2年目となった齋青年。
俺はもう、和太鼓グループ彩のメンバーなんだ!

去年引っ張ってくれた、葛西“前”代表、林“前”副代表はもういない。

「俺たちが、中心となって頑張るんだ!!!!」

そんな誇りと想いを胸に、舞台に立ちました。

場所は、東京大学図書館前広場。
階段下も、階段上も、階段も、幅広く使って演出を考え、渾身の演奏を披露しました。

やる気が髪の毛ツンツン具合に出ていますね。笑
そういう年頃だったんでしょう。笑

こころなしか、1月の単独公演より頼もしい表情をしていますね♪(自分で言ってみる)

当時の和太鼓彩は、アマチュア団体ながら、毎年学園祭を楽しみに来てくださるファンの方がいらっしゃいました。
そのファンの方々からも、拍手とあたたかい歓声をいただき、とても嬉しかったと同時に、ほっとしたような、不思議な感覚になったことを覚えています。

さて、この五月祭。
他にもひとつの目標がありました。

それは・・・。

グランプリ受賞

東京大学の学園祭では、ご来場者様の投票で決める「グランプリ」なるものがありまして、実は和太鼓グループ彩、2006年から毎年受賞させていただいていたのです!
(参考:【2006年】和太鼓彩 2回目の演奏! by葛西啓之
→https://wadaiko-sai.com/archives/history/181116)

もちろん、僕らは賞を取るために、演奏していたわけではありません。

ただ、正直に、当時意識せずにはいられませんでした。

先輩方が毎年受賞し、認められてきたひとつの証。

自分たちの代で、、、
その連覇を止めるわけにはいかないー。

新体制和太鼓グループ彩。
結果は・・・、、、

グランプリ受賞(^O^)/

いろんな方々の支えもあり、
新体制和太鼓グループ彩も、無事賞をいただくことができたのでした。

こうして新体制デビュー演奏を終えた、葛西不在の2期目?和太鼓グループ彩。
偉大なる代表葛西さんが引退、不在ながらも、
脈々と流れる和太鼓彩のDNAとともに、五月祭演奏にて成功を収めることができたのでした。

そして、この五月祭をひとつの自信とし、2009年度の活動をスタートさせたのでした。

と、長くなってきたので今日はここまで!
次回は2009年度の活動を振り返ります!お楽しみに~♬

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