1. HOME
  2. ツアー「凛」制作秘話2〜静と柔の和太鼓演奏〜 by葛西啓之

ツアー「凛」制作秘話2〜静と柔の和太鼓演奏〜 by葛西啓之

日時:令和3年10月1日
執筆者:葛西啓之
タイトル:ツアー「凛」制作秘話2〜静と柔の和太鼓演奏〜

みなさまこんにちは。
葛西です。

時は2013年、秋。
和太鼓彩の面々は、目の前に迫ったプロ後第二弾のツアー「凛」の制作活動を行なっておりました。
その中でも、「凛」ツアーの目玉となる最後の演目、「●心不乱」の編曲を担当していたわたくし、葛西。

本日は、そんな編曲作業の裏側を振り返っていきたいと思います。

「●心不乱」の編曲コンセプトは、「自信と風格」。
*詳細は前回レポート(https://wadaiko-sai.com/archives/history/210826)参照。

プロとして飛び出してから早1年。
プロの世界の厳しさを知る中で、「和太鼓彩にとってのプロとは何かー」という問いかけの答えを見つけるための編曲作業でした。

前回のヒストリーにも書かせていただきましたが、この編曲は私のこれまでの創作活動の中でも1,2位を争うくらい、時間がかかったことを記憶しています。

自信と風格。

プロとして自信と風格を持つということは、和太鼓彩のアイデンティティ、つまり、和太鼓彩が考える「プロ」の演奏というものを言語化し、体現すること。

しかし、「アマチュアであれば、舞台に立てば誰しもがプロである」、そんな信念をもって和太鼓を続けてきた私にとって、アマチュアとプロの違いは何か?という問いに対する答えを持ち合わせていなかったのです。

和太鼓演奏には、プロとアマチュアの明確な違いがありません。
これはある種、業界がまだ出来上がっていないことの証でもありますが、特に明確な基準がないんですね。
逆に言えば、プロと名乗れば誰でもプロになれる、そういう世界に和太鼓は位置しています。

だからこそ、「プロ」のイメージも人それぞれ。

アマチュアに比べて圧倒的に音量が大きいことをウリにしている人もいれば、
リズムの複雑さで勝負している人もいれば、
集団としてのパフォーマンス力で勝負している人もいる。

それぞれにそれぞれの正義がある中で、和太鼓彩は何をもって自分たちを「プロ」と謳うのか?

2013年4月、プロに飛び出した当初はただただ「プロになりたい!」という、ある種少年漫画のような真っ直ぐさのみで突っ走ってきたわけですが、プロ化1年を終えるにあたり、「プロ」としてすでに舞台で戦っている先輩方の演奏に触れ、初めて自分の中で「プロとは何か?」という問いかけに挑んだ時期でした。

この問いの答えはそうそう簡単に見つかるものではなく、今でも自分の中での大きな問いとして常に心に抱いているテーマではありますが、当時からそのかけらは自分の中にありました。

中でも一番大きかったそのかけらは、「本物って、意外と静かなんじゃないか?」というもの。

ご存知の通り、和太鼓は大きな音が魅力の楽器。
世界で一番大きな音が出る楽器、とも言われるほどです。
私も例に漏れず、誰よりも大きな音を出そうと練習に励んでいた時期があります。

しかし、プロの世界で戦う内に気づいたことがありました。
先輩方の演奏って、思いの外静かなんですね。
正確にいうと、「緩急がついている」。

「感動」とは絶対的なものではなく、相対的なものなんだ、
人は大きな音に感動するのではなく、「小さい音と大きい音の振れ幅」に感動するのである、と気づいたのが、この頃です。

まあ、当たり前といえば当たり前なんですが、大きい音が絶対善とされている和太鼓の世界で、そして、体力を自慢し承認欲求を満たしたい青年期において、この感覚を本当の意味で理解し体現することって、実に難しいのです。

本当の意味で「世のため人のために打つ和太鼓」とは、極限まで自分自身を抑え、我慢することにあるー、と。
そんな気づきから始まった編曲作業でした。

よくよく考えれば、これって太鼓に限ったことではないですよね。
静かな人ほど怒ると怖い、ってよく言うじゃないですか。
大人になって、いろんな人と仕事をしていく内に、自分の経歴や人脈を自慢したり、ものすご〜く喋る人に限って、意外と信頼できなかったり。
逆に、何も言わず黙っている人が、調べてみると実は超すごい人だった、みたいな。
いつも思いますが、太鼓で得た気づきはそのまま人生にも通ずるのです。
いやはや、太鼓すごし。

さて、話が逸れてしまいましたが、そんなこんなで、「静の表現にチャレンジする」、という方向性で編曲作業を進めていきました。

そしてもう一つ。
方向性的には同じことですが、「柔の表現」にチャレンジしようと思ったのもこの時です。
これも上記と同じ理屈になりますが、いまの創作太鼓界の常識は、どちらかと言うと「剛」にあります。

力強く打つ。

これこそが和太鼓彩の真骨頂であり、誰よりも力強く打てるやつが偉い!
そんな風潮があると思います。

しかし、これも同じこと。
繰り返しになりますが、感動とは「相対評価」なのです。

2時間常に「剛」を表現していても、お客様は飽きてしまう。
「柔」と「剛」がバランスよく融合してはじめて、「感動」というものが生まれるのであります。

そんな考えを経て、「今までは体力任せの力強いパフォーマンス」を中心に構成してきたけれど、「静」と「柔」の表現を取り入れ、「緩急のついたパフォーマンス」をすることを目標に、曲を作り上げていきました。

さて、ここで再び壁にぶつかります。

じゃあその「静」と「柔」って、どうやって表現すればいいのよ?と。
ただたんに小さく叩くだけ、ということであればこれまでもある程度は意識してきたし、「柔」の表現っていったいどんな表現よ・・・と。
悩みに悩んだ葛西青年は、いろんな太鼓チームの演奏を見ることはもちろん、オーケストラや演劇、さらには「柔道」にいたるまで、様々なものを改めて研究しました。
恐らくこの時に、ノートを5冊くらいつぶした気がします。

<当時のノート>

そして行き着いた一つの結論。

自分たちに足りないものは、「女性らしさ」ではないかー。

男性らしさと女性らしさ。
こういう言い方をすると今の時代ではいろんな問題が起こりそうなので言葉選びが難しいですが・・・和太鼓彩は男だけのチーム。

ただでさえ力強く大きな音に惹かれがちな創作太鼓の世界において、20代の男だけが集まっているチームとなれば、なおのこと。
我々が「動」と「剛」の表現しか現時点で知り得ないのは、そこに「女性」が不在だからではないか?という仮説に至ったのであります。

中でも衝撃的だったのは、小島千絵子さん(鼓童)の演奏。
小島千絵子さんの花八丈を初めて拝見した時、自分の中での太鼓の概念が打ち砕かれたことを今でも覚えています。
指先、足先、バチ先まで張り巡らされた繊細なオーラ。
それはあたかも、「場の空気を操っている」かのよう。
音が鳴った後の余韻、空気の振動を、指先でコントロールしているかのような、美しすぎるバチさばき。
そして何より、決まってアンコールで魅せる屈託のない笑顔。
こんな素敵な笑顔をする人がこの世に存在するのか!と。

和太鼓彩に足りないのは、この繊細な感覚。
これこそまさに、「静」と「柔」の表現だ!と。
そしてこの表現を身につけた上に、和太鼓彩の強みである男ならではの「力強さ」=「動」と「剛」が乗っかれば、これはすごい演奏になる!
そんな興奮を覚えながら、「女性らしさを取り入れる」、というアイデアを本曲に取り入れることを決意したのでありました。

さあ、ここからが大きな問題。
「女性らしさを取り入れる」ために考えられる選択肢として、2つあります。

① 実際に女性に入っていただく
② 現メンバーで女性を演じる

時は2013年9月ころ。「凛」ツアーまでもう3ヶ月をきっています。

いやいやいや・・・どっちも現実的ではないでしょ。。。
今からどうやっても難しい。とってもいいテーマだけど、1年後のツアーに取り組もう。

そう自分に言い聞かせる一方で、悪魔が私に囁きます。

「それで本当にいいのか?目の前の公演で最高の表現をしなくていいのか?」と。

私の悪い癖で、一度「これだ!」と思い込んだら、どれだけ時間がなくてもそれをやり切らないと気が済まないんですね。ええ。
亀有の喫茶店で5時間くらい悩んだ挙句、最終的には「よし、今回の●心不乱で、現メンバーで女形を演じよう!」と決意を決めたのでありました。

そんなわけで、前代未聞。私の無謀な考えにより、プロ化第二弾のツアーで「女形」にチャレンジすることになった和太鼓彩の面々。

このチャレンジを通じて、「静」と「柔」の表現を手に入れ、さらなる高みを目指していくー。
そして、プロとしての「自信と風格」を身につけるー。
そんな覚悟で、作曲・稽古に入っていったのであります。

う〜ん、今回のレポートで凛ツアーを終えようと思っていましたが、
だいぶ長くなってしまったので、本日はここまで!

次回、女形へのチャレンジを綴りたいと思います。
ではでは、ばいば〜い。

  • コメント ( 0 )

  • トラックバックは利用できません。

  1. この記事へのコメントはありません。

関連記事