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和太鼓彩プロ化への道①〜プロデビューと大学院編〜 by齋英俊

日時:令和5年1月19日
執筆者:齋英俊
タイトル:和太鼓彩プロ化への道①〜プロデビューと大学院編〜

和太鼓彩のプロはいつからか。
公式では、2013年プロデビューと定めております。

なので、2013年4月1日ということになりますね!
特にこの日に何があったというわけではないのですが、仕事をしているメンバーが仕事を辞め、年度の変わりを一つの節目としてプロの世界へ飛び出したとしました。

実際には、仕事をしていたメンバーも有給休暇などで、3月後半くらいからは、ほぼほぼ和太鼓中心の活動をしておりました。

今回からは、アマチュア編の最後!?
プロ化直前の日々を振り返りたいと思います!


「和太鼓のプロってどうしたらなれるの??」

これはたまに聞かれる質問です。

特にプロ野球のように、このチームがプロと定められているわけでもありませんし、組合があるわけでもありませんし、これは各プロ奏者によって、定義はまちまちかと思います。
僕らは、特定の事務所に所属をするわけではなく、自分達で事務所を構え飛び出したため、「プロ」という世界に飛び出したと言っても、住んでいる大きく変わったわけではありません。

ただ、ひとつ。
プロというものに、当時、メンバーに、定義というか、共通認識はありました。

それは、、、、
「和太鼓でご飯を食べていくこと」

ええ、仕事をしているメンバーは仕事をやめ、和太鼓の稼ぎだけで、生きていくことです。

「プロ」として、しっかりと演奏をし、認めていただき、人様からお金をいただき、それで生きていくー

これが、プロ和太鼓奏者である、という認識はありました。

そこで、、、、
プロ化最初にできたルールは、、、、

アルバイト禁止!!!!

これは、今振り返ってもなかなか攻めた決め事、かつ、面白いなと思いますね笑

和太鼓に24時間365日を注ぎたいー
そう思い、プロの世界に飛び出すわけです。

ついては、そのほかの時間は、いわば、“無駄”な時間なわけです。

太鼓に関すること以外のこと、アルバイトをしていては、それは何のために仕事をしているメンバーが仕事をやめ、プロの世界へ飛び出したのか、意味がなくなってしまいます。
それだったら、休みのしっかりとれる、給料の安定した会社に勤めながら、和太鼓の活動を続けていけばいいのではないか。

そんな思いから、「アルバイト禁止!」というルールが、和太鼓彩プロ化最初にできました。

アルバイト禁止ですから、和太鼓で稼いだお金以外、ないわけです。
ええ、言葉が悪いですが、演奏がなければ野垂れ死ぬしかないわけです。

人間死ぬ気になればなんでもできると言いますが、死ぬ気で、和太鼓で生きていくことを模索したわけです。
演奏もそんなにあったわけではないので、文字通り24時間365日、和太鼓で生きていくことを考え続けた日々でした。

時には、3ヶ月で給料5万円なんて時もありましたね〜笑
この時は共同生活をしていて、住居兼事務所だったので、先にそっちの家賃を払い、手元に残ったのがそのくらいだったんですね笑
(URL:https://wadaiko-sai.com/archives/history/181026

リアル1ヶ月1万円生活です!
まぁ、そのがむしゃらで無茶苦茶な日々が、猛烈に楽しかったり、今思うと懐かしく、尊かったりするんですけどね!!

さて、アルバイト禁止になる前に、勤めていたアルバイトを辞めるわけですね。
僕は当時家庭教師とベンチャー系の会社のアルバイトをしていました。

家庭教師は、中学校の頃から見ている子が、ちょうど大学受験の年。
無事に合格を果たしてくれ、見届けることができました。
今はしっかりお医者様として働いているということで、嬉しい限りです♪
時は早いし立派になったな〜

そして、会社の皆様にも、和太鼓で生きていくことを伝えました。
「もちろん応援している、死ぬ気でがんばれ!
ただ、、、何かあったらいつでもうちの会社に来い」

そう言っていただき、安心と自信になったことを覚えています。

今までお世話になった方へのご挨拶をし、プロデビューへと進んでいくことになります。

もちろん、大学院の方々へもご挨拶を。
ここからは、あまり話をしてこなかった、大学院編をお送りしたいと思います。


彩のプロデビューは2013年。
実は私は大学院2年生の時にプロの世界へ飛び出しているわけです。

学生や就職活動を経験された方ならわかるかもしれませんが、齋青年も例に漏れず、将来の道を悩んでおりました。
そして、決意をします。

俺は、彩とともに、プロ和太鼓奏者になるんだ!
これが、俺の人生だ!!!

当時22,3歳。
紆余曲折ありながらも、和太鼓奏者を生涯の職にすること、その世界を目指してみることを心に決めます。

2012年秋。
当時大学院1年生であった齋青年。
一般的には、ここから就職活動やインターンというものがスタートします。

私が通っていた学科はとても素晴らしく、進路相談というものがありました。
環境・エネルギーコースを専攻していたため、教授の方々も、その方面の企業のことをよくよくわかっている方が多いんですね。
全生徒就職希望先を提出し、教授の方々と面接し、企業のことを聞いたり、研究室の推薦枠のことを相談したりなど、そのような時間が設けられておりました。

ええ、もちろん齋青年も提出します。
想い出の、私が提出した進路アンケートが出てきました。

第1志望企業名 和太鼓グループ彩 -sai-
第2志望企業名 なし
第3志望企業名 なし

ええ、本当にこのまま提出致しました。笑
事務の方も、こいつ何書いてんだろうなと、さぞ思ったことでしょう。

しかし、齋青年は大真面目も真面目、本気です。

先に、自分の所属する研究室の准教授との面談がありました。
最終的な修士論文のテーマを決定する話し合いです。

自分の希望就職先に関連するようなテーマを選択すると、就活がやりやすくなるなどの事情もあり、自分の研究希望と、研究室の方向性などなどを話し合う場です。

正直、、、
話し合いの前、かなりの怖さがありました。

工学系の大学院です。
もちろん、研究をするために通う場所です。

何の研究をするのか、自分の将来に生きるような研究は何かを話し合うのに、、、
自分は研究職はおろか、何の関係もない和太鼓の道を目指すと伝えるわけです。

いや、そしたら何で君は大学院に通っているんだい?
ってお話です。

ただ、今の自分には、目指したい確固たる夢がある。

怖さを抱きつつも、面談の場に出向きました。

齋青年は、隠すことなく、自分の将来の夢、目指す世界を伝えました。

准教授は、決して笑うことなく、とても真面目にお話を聞いてくださいました。

「君の夢はわかった。
ただ、せっかく縁もあり入学したんだから、将来のためにも、大学院は卒業しなさい。
精一杯サポートと応援はするから。」

自分の生涯で、忘れられない瞬間のひとつです。

面談の場で、先生のあたたかな言葉に、涙したことを覚えています。
そして、昼間は太鼓の活動ができ、夜研究室に通っても大丈夫な研究テーマ(フレキシブルに時間を組める研究)を選び、大学院と太鼓を両立する道を選ぶことになりました。

大学院2年生が、プロデビュー1年目。

よく活動と両立できましたね!
と言われることが度々ありますが、ただただいろんな周りの方に支えていただいたから、応援してもらっていたから。
本当に感謝しかありません。

そして続いては、専攻の教授陣との進路面談。

ここでも、自分の夢と進路を伝えました。

教授たちも真剣に自分の話を聞いてくださり、あたたかな言葉をいただきました。

実は卒業後も、彩のLIVEにも足を運んでいただいております。
(サプライズでお越しいただいた時は心底びっくりしました。笑)

本当に出来の悪い生徒でしたが、この専攻、研究室を選んだことを誇りに思います。
たくさんのあたたかな方々に支えられて今の自分がある。
先生方、専攻や研究室の仲間たちには感謝しかありません。

当時、根拠も何もない夢だけを語り、突き進んでいた自分。
たくさんの心配をかけたかと思いますが、今、少しでもみんなの期待に応えられているといいなぁ。

それでは、今日はプロデビュー直前、大学院時代の忘れられない思い出を振り返りました。

続きはまた!
ご覧いただき、ありがとうございました!

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