岡本の野望~世界平和~ by岡本峻一
日時:令和元年6月8日
執筆者:岡本峻一
タイトル:岡本の野望~世界平和~
皆さま、こんにちは!和太鼓彩の岡本峻一です。
さて、今回のヒストリーページですが、
岡本の1つの野望についてお話ししたいと思います。
岡本の野望、それは「世界平和」です。
なんと陳腐でありきたりな夢なんでしょうか。
ただ、自分がそこに興味を持っていることは、
困ったことにどうやら事実のようです。
社会人になり、和太鼓を選ぶか迷っていた時、
改めて自分が「和太鼓をやっていてよかった」と思う瞬間はいつだろうと思うと、
特に下の二つだと気が付きました。
・「和太鼓っておもしろいんだね、すごいんだね」と言ってもらえる瞬間
・他の国の人と、和太鼓を通じて言語の壁を越え、一緒に笑えた瞬間
このことから、世界に対して和太鼓で何かをやっていきたいと、考えてはいたのですが。
その何かは今、世界平和、というわけです。
なぜそんな飛躍をしたのか。どうやってそれを叶えようと言うのか。
今回はここに焦点をあてていこうと思います。
事前の注意書きですが、
今回は99.9%和太鼓の話は出てきません。
自分にとって、和太鼓に並ぶ柱である興味の話になるからです。
同様に他メンバーとのエピソードも1回しか出てきません。
そして、例によってめっっっっちゃくちゃ長いです。
かつ、これまでの話とはまた違う意味で重い話になります。
が、今自分が和太鼓彩で特に頑張っていきたいと思っていることの原動力の話。
よろしければお付き合いください。
というわけで、一体どういう風に僕がそんな野望を抱くようになったのか。
2017年 秋。
車移動が多い和太鼓彩。葛西さんが運転する助手席に座ると、僕と葛西さんは抽象的な話をすることが多いのですが、確かいつかの新世界の帰り道だったと思います。
「和太鼓以外の興味と和太鼓を結び付けられると、それは武器になる」という話をしていました。それは例えば葛西さんで言えば教育などになるのでしょう。その話をした中で、「和太鼓であれば世界平和が実現できるんじゃないか」そんなことを考えるようになります。
なぜそもそもそんなことに興味を持っていたのか。
幼少期から振り返っていこうと思いますが、
僕にとって2つの大きな背景がスタート地点としてあるような気がしています。
僕は電機メーカーの営業に勤める父の下に産まれ、
小学校を卒業するまでの12年間の半分以上の時間を海外で過ごしています。
ドイツで産まれ、幼稚園の年長から小学校6年生の6月までアメリカ、ブラジル、またアメリカと転々とします。
色々な人種が入り混じるアメリカ。
スラム街、ストリートチルドレンなど、日本とはまるで違う景色が広がるブラジル。
こういった環境で育ったおかげか、「国が違う人」達、「価値観が違う人」達の存在は僕にとっては、とても当たり前の事でした。
多分、これが背景の1つ。
そしてもう1つ。
当時の僕はとても恵まれていました。
「人が人に敵意を向ける」という事をテレビの戦隊モノの番組でしか知らなかったのです。
小学校6年生になり、日本に帰国して実際に自分が体験するまで、「いじめ」という言葉すら、知りませんでした。
それぐらい、僕は敵意や害意という物と縁遠い所にいました、幸せなことに。
そしてだからこそ、初めて「いじめ」という形で、人から強力な害意を向けられたことは、
ものすごいショックでした。だからこそ疑問を持つようになったんだと思います。
どうして人は対立してしまうのか。もっと仲良くする事はできないのか。
恐らくこれももう1つの背景。
「価値観が違う人達の存在が当たり前であること」「人が対立し合う事への違和感」といった感覚を持って育ったから、連日テレビやインターネットに流れる「国や宗教、文化の違いによる対立」に違和感を抱き、「国や宗教、文化の違いによる対立」に違和感を募らせたのかと思います。
これがスタート地点。恐らく自分が「世界平和」なんていう事に興味をもった最初の理由。
もちろんですが、幼少期から、そんな頭の中でよくわからない話をこねくり回して、
そんなことを考えていたわけではありません。
ただ、思い返すとそうだったんじゃないか、という話です。
さて、その「対立への違和感」は確かに自分の中に存在していたものの、
別にそれは「問題意識」という程大層でしっかりしたモノではありませんでした。
だから、別に大学の学部を選ぶ時も、大学に入った後も、それを勉強するつもりはありませんでした。
それが変わったのは、ドイツの大学に留学した時。
向こうで見た様々な事は自分にとって衝撃的で、
とても印象深いことが多くありました。
アウシュビッツ強制収容所に実際に行ってみた事だったり、
ドイツにおける第2次世界大戦に対するスタンスだったり。
でもそういったことの中で一番自分にとって印象に残っているのは、
ある友人との会話です。
たまたま大学の講義が同じクラスになり、クラスメイトになった韓国人のその友人。
ある日、その友人が僕に打ち明けてくれた話。
「実は僕はドイツに来るまで、日本が、日本人が嫌いだった。でも君と友達になってそれが偏見だったことが分かった。色々な韓国人がいるように、色々な日本人がいる。国や民族でくくって見ても仕方がなかった。」
もしかしたら、ある種当たり前の話なのかもしれません。
しかし、それはとてつもなく鮮烈に自分の中に入ってきました。
「人と人が面と向かって触れ合えば、国などの集合体の単位ではなく、個人単位でモノを見られるようになるのではないか」
こういった経験をして行く中で、
僕はだんだんと人と人の対立に対する違和感を自分で認識するようになり、
留学から帰ってからは、そういったことを主に勉強するようになります。
それでもなお、世界平和だなんて大層なことは考えていませんでした。
そんなこと、個人の力でどうにかするようなことじゃない、と。
最終的に僕はその違和感を出発点にドイツとフランスの歴史に関する卒業論文を書きます。
僕のその違和感のバイタリティは相当強かったようです。
優秀卒業論文として表彰されたくらいの大作に仕上がりました。
でもそれで満足。そこで僕は自分の違和感に対して、一旦の終止符を打ちます。
それを呼び起こしてくれたのは、やはりというか、いつも通りというか、
和太鼓彩の代表、葛西啓之氏との冒頭に記載した会話でした。
「和太鼓以外の興味と和太鼓を結び付けられると、それは武器になる」
その時に自分のその興味の話しをしたら、葛西さんから、
「それって和太鼓でできることがあるんじゃない?」と言ってもらったんです。
友達とのエピソード。
人と人の交流が誰かの認識を変えていく事になるんじゃないか、という仮説。
和太鼓は、その中でも和太鼓彩はそれができるんじゃないか。
和太鼓は音楽的であり、身体を目一杯使う表現で、
言葉を一切介さないのが特徴でもあります。
それは、言葉という壁を越えて、人に何かを届けられる可能性がある、という事です。
しかも、その中でも和太鼓彩の舞台は、
舞台上の演者だけでは決して完成せず、ご覧頂いているお客様とのコミュニケーションが
あって、初めて完成するものだと、僕は思っています。
だから、和太鼓彩なら、太鼓を通して人と人のコミュニケーションができる。
もしかしたら、異国人に対して国というくくった見方をしなくなることにつながるかもしれない。それはもしかしたら、世の中の、世界の人々の認識を、ちょっと平和な方向に持って行くことになるのかもしれない。
これが僕が思う、世界平和です。
もちろん、太鼓でいきなり世界が平和になって紛争やテロが全てなくなるだなんてあり得ません。
どんなに頑張った所で世界70億人と時間や空間を共有するなんて、恐らく不可能でしょう。
それでも、少しずつでも、やっていけば、ちょっとだけ世界を変えられるんじゃないか。
大学生当時の卒業論文執筆中に、とても心打たれたエピソードがあります。
僕の卒論からそのまま抜粋します。
1930年代の独仏の共通の教科書を作る試みはナチの登場によって失敗に終わった。その際、フランス側の教員の先頭に立ってドイツの学者との歴史対話を進めたラピエールは、ダッハウ強制収容所の中で命を落とすが、その1年前に彼が同僚に宛てた手紙には次の文がある。
「国際的な対立を終わらせ、最終的に平和な国際社会を確立しようとした二〇年代の努力が失敗したことは、我々の確信を揺るがしたり、失望させるものではない。(中略)人類の過ちは忍耐力がないこと、努力のあとすぐに効果が出る事を期待することにある。人類の進歩は、一世代で達成されるものではなく、長い歴史の中で達成されるものである。」
一歩ずつ、一歩ずつ。
ちょっとでも世界がより良い場所になるように。
和太鼓なら、和太鼓彩ならそれができると、確信しています。
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